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なつかしの佳作 「夕焼け」

『夕焼け小焼けで日が暮れて、
 山のお寺の鐘が鳴る。
 お手々つないで皆帰ろ。
 烏が鳴くから帰りましょう』

 窓の外から、子供の可愛い歌声が聞こえてきた。その声に誘われて、麻子は西の空を仰ぎ見た。キャンバスに真っ赤な絵の具を広げたような空であった。
 家へ帰りたいと、麻子は不意に思った。今すぐにでも、この殺風景な病室を出て行きたい衝動にかられた。明
日になれば、検査も全て終了し、帰宅できるにもかかわらずである。

 子供の頃、麻子もあんなふうに歌いながら、家路を急いだ。胸をワクワクさせながら、玄関の戸を開ける。「
ただいまー!」。お母さんが「お帰り」と出迎えてくれる。卓袱台には、真心こめて作ってくれた夕食が並んでいた。

 至極、懐かしい。

 だが、その一方で、胸がしめつけられるような寂しさをおぼえるのは、夕焼けに関わる思い出のせいであった
。長いこと忘れていたこと、否、思い出さないようにしていたことだった。
 今、麻子は、あの日と同じ色の夕焼け空を見ている。西の空に沈む太陽が、一日の最後の輝きを惜しげもなく
放ち、まさに消えようとする時に見せる色鮮やかな世界だ。
 麻子の脳裏に、十一年前の出来事が蘇った。
 祖母タキが八十八歳の生涯を閉じたのは、秋風の吹き始めた九月のことであった。

 
ワープロから目を離すと、麻子はウーンと背伸びをした。昨日出来なかった仕事を家へ持ち帰ったものの、なかなかはかどらず、時間だけが空しく過ぎていった。
 しかも、母奈津と後味の悪い口喧嘩をしたことが、ずっと麻子の頭にひっかかっていた。
 祖母タキが寝たきりになり、しばらく自宅療養を続けていたが、やはり病院でリハビリを受けた方が良いであ
ろうと、タキは入院したのだった。当初嫌がっていたタキではあったが、「歩けるようになったら、迎えに来るから・・・・」という子供達の言葉を信じて、渋々入院することにしたのだった。だが、タキの病状は一向に回復せず、一年余りが過ぎていった。

 その日は日曜日で、タキの八十八回目の誕生日であった。以前から麻子と奈津は、お祝いを兼ねて、病院へお
見舞いに行こうと約束していた。ところが、麻子が当日になって急に行けない、と言い出したことから、口喧嘩が始まってしまった。
 「だって、明日までに仕事仕上げて行かな、あかんもん」
 平然と答える麻子を見て、奈津はますます腹が立ったようだった。
 「それやったら、昼まで寝とらんと、早く起きて片づけたらいいでしょ。今日のお見舞いは、前から約束してた
やないの。ほんまに、あんたは休みとなると、いつもグータラして。遊びに行く時だけやね。早起きするのは」
 奈津の指摘が当たっているだけに、麻子もついカーッとなって言い返した。
 「そんな言い方せんでもいいでしょ!今日は遊びに行くんと違うんやし」
 「日頃の行状が悪いことを言うてるんです!」
 結局、親子喧嘩は小一時間に及び、奈津も出掛ける時を逸してしまった。
 どうせお母さんが行けなくなったのも、私のせいって言うんでしょ・・・・、と考えると、麻子は謝る気にはなれ
なかった。気分転換に外の空気を吸おうと、窓を開けた。
 麻子は思わず息を呑んだ。まるで血のような赤い空が広がっていたからである。背中を寒気が走り、夢中で叫
んでいた。
 「お母さん! ちょっと、見て。 真っ赤な夕焼け! 一面、真っ赤や!」
 麻子の怯えたような声に、奈津は慌てて、西の空を仰ぎ見た。そして、ポツリと呟いた。
 「何か、不気味やね・・・・」
 麻子と奈津は、同じ事を考えていた。二人とも強く考えを打ち消そうとしたが、心の不安はますます深まって
いった。
 『おばあちゃんに、何かあったんやろか・・・』

 翌日、病院からの連絡で、奈津は飛んで行った。予感は、的中していた。白い肌にシミが浮き出てシワだらけだったタキの足は、シワのない桜色をした美しい足になっていた。もう二度と歩くことの出来ない足だと、奈津は直感した。
 医師の説明によると、ベッドから落ちた時、強く打撲した為だろうという。
 「ベッドから落ちた、って。どういうことですか?」
 奈津は、激しく詰め寄った。が、医師はいろいろ理屈を並べ、病院側には、いっさい過失がないと言い張り、
逃げてしまった。
 釈然としないまま、奈津は重い気持で、タキの顔を覗き込んだ。
 「ナッちゃんか。来るの遅いなあ。昨日、待っとってんで。誰も来なかったけど・・・・」
 「ごめんね。それより、足痛む?」
 「ウーン。痛うてかなわんわ」
 「さすろか?」
 奈津は、老いた母の右足に、そっと触れた。ひどく冷たかった。桜色の足から伝わってくるのは、たとえよう
もない痛々しさと侘びしさだった。

 『家に帰りたい』

 おそらく、タキはそう言いたいのを必死で我慢しているに違いないのだ。奈津とて、出来る事なら、母親を連
れ帰りたかった。それが出来ない辛さ、そして、申訳なさでいっぱいだった。
 「お母ちゃん、ごめんね・・・」
 心の中で詫びながら、奈津は、手がだるくなるまで、ずっとタキの足をさすり続けていた。
 会社から帰宅した麻子は、真っ先にタキのことを奈津に聞いた。「命に別状ないらしい」という答えが返って
きたので、麻子はホッと胸を撫で下ろした。

 ところが、翌日、タキの容体は急変し、駆けつけた五人の子供達に見取られて、この世を去った。朦朧とした
意識の中で、何かを言いかけ、事切れた。
 奈津達は、タキの体にとりすがって泣いた。思いは皆同じだった。
 「お母ちゃんが死ぬなんて、嘘や、嘘や。死ぬはずがない」
 しかし、タキの目が開くことは二度となかった。
 麻子は、奈津からの連絡を受けると、すぐ会社を早退した。
 「おばあちゃんが亡くなった」と聞いても、とても信じられず、頭の中が混乱したまま、麻子はタキの家へ向か
った。道すがら、麻子は、子供の頃のことを少しずつ思い出していた。

 
麻子が小学生の頃のことである。時々、家にはすぐに帰らず、学校からタキの家へ寄り道をしていた。大抵、テストであまり良い点数が取れず、母に叱られるのが嫌だったという理由からである。叱られることには変わりないのだが、タキの顔を見ることで、心の準備をしていたのかもしれない。
 バタバタと走り込んでくる麻子の顔を見ても、タキは「麻ちゃんかいなあ」と言うくらいで、別段驚きもしな
い。たとえ学校をさぼって帰ってきたとしても、問い正したりはしない人だった。
 麻子がチョコンと座ると、タキはドッコイショと立ち上がり、台所へと向かう。そして、「無花果、食べるか
?」と二人分の皿を運んでくる。
 麻子が仏壇を見ると、熟れた無花果が供えられていた。タキは、無類の果物好きで、毎日何かの果物を買って
は、仏壇の亡夫と先祖に供えていた。
 「買うてきたものは、まず、私らを見守ってくれてる仏さんに供えるのやで」
 「じゃあ、お供え物はどうするの?捨てちゃうの?」
 「そんな勿体ないことはしません。後でいただきます。私は、お父ちゃんのご飯も食べるんやで」
 明治生まれのタキは、仏壇に供えたご飯ですら、お茶漬けにして食べていた。人生の大半を、食物に苦労して
きたからであろう。それが妙に美味しそうに映るのだから、不思議であった。
 お茶漬けを食す時は、必ず、台所に置いてある自家製糠床から、なすびやきゅうりの漬け物を取り出す。タキ
の漬け物は、絶品であった。
 「おばあちゃんのお漬け物が、一番美味しい」
と麻子が誉めると、タキは目を細めて喜んでいた。
 二人は仲良く並んで果物を食べ、時代劇の再放送を見て泣いたり笑ったり、そんなふうにして、ゆっくりと時
間が過ぎていった。
 時代劇が一件落着する頃、麻子は、「おばあちゃん、帰るわ」と言い、タキは、「また来てなあ」と応える。

 
「また来てなあ・・・」

 麻子は、はっとした。タキが入院していた頃、麻子が帰ろうとすると、決まってそう言った。それは、昔とは
全く違う意味あいの寂しい言葉であった。決してそれ以上のことは言わないが、全ては、タキの潤んだ懇願するような瞳が物語っていた。麻子はただ頷くしかなかった。
 麻子がタキの家の前に着くと、玄関の戸は開け放しになっており、夥しい数の履き物が並んであった。親戚や
隣近所の人達が駆けつけたのであろうと思われた。
 仏間に入り、顔に白い布をかぶせられたタキらしき人を見たが、麻子はまだそれがタキであるとは信じられな
かった。
 言われるまま、白い布をこわごわ取った時、麻子は息を呑んだ。タキの苦しく寂しげな表情を見たからである
。少し開いた口元からは、まだ生きていたい、という言葉が聞こえてきそうであった。
 麻子は、思わず目を背けた。
 側に座り込んでいる奈津もまた、抜け殻のようになっていた。最愛の母を失った悲しみ、否、そればかりでは
なかった。むしろ苦しんでいるように見受けられた。
 「あの日、お見舞いに行っとけば・・・」と悔やむ奈津の声を耳にした時、麻子の胸もまた、更に痛んだ。
 「遅くなっても、行けば良かった。そうすれば、お母ちゃんは死ななかったかもしれへん。ベッドから落ちるこ
ともなかった・・・」
 奈津には、あのタキの足を忘れることが、どうしても出来なかったのである。
 「お母ちゃんは、ずっと待ってたんやろね。誰かが来るのを。ドアが開いて、誰かが入って来るのを、朝からず
ーっと待ってたんやろうね。そやけど、誰も来なかった。だから、だから、家へ帰ろうとしたんやわ・・・・」
 奈津の重い呟きは、やがて麻子自身にも罪の意識として、ずっしりのしかかっていた。
 そして、その罪の意識から逃れるように、タキのことは、なるべく思い出さないようにしていた。

 タキの死後、十一年の歳月が流れ、麻子は、大学卒業後、ずっと勤めていた会社をひと月程前に退職した。どれほど会社に貢献しても、人の何倍も頑張ったとしても、所詮は歯車の一つにすぎず、古くなった部品は交換される運命にある。ましてこの不況である。もはや終身雇用制の時代ではないのだ。それが、女性であれば、尚更だった。
 利用価値のなくなった人間を、ゴミのように捨ててしまう会社に対して、怒りや憤りも感じたが、やがて、麻
子の心はポッカリ穴が開いたように、何も考えられなくなり始めていた。張りつめていた気力が抜け落ち、燃え尽きたかのようだった。
 麻子は辞表を提出し、残務整理を終えるや、惨めな現実から逃げ出すような格好で、退職した。そのことを知
った奈津は、あまりにも無謀な娘の行動に呆れはて激怒した。その一方で、麻子が二度と立ち直れないのではないかと案じてもいた。
 まもなく麻子は倒れ、入院した。急性胃腸炎だった。もともと胃腸の弱い麻子であったから、点滴入院は珍し
くなかった。が、この時、奈津が見せた表情は、タキを失った時と同じものであった。
 「しっかりしなさい。あんな薄情な会社の為に体を痛めつけて、どうすんの」
 全く奈津の言う通りだった。
 目を閉じると、十一年間のことが次々と浮かんでくる。特に、この一年余りは震災もあって、より鮮烈である
。地震当日からの出勤。その後は無我夢中で走り続けた。息切れがして、立ち止まりたかった。だが、麻子のプライドや意地が決してそれを許さず、遥か先のゴールを思い浮かべては、自分自身を励まし続けていた。そして、立ち止まらざるを得なくなった時に味わった挫折感。信じていて、裏切られた時のショックは大きすぎた。
 入院していることも、決して誰にも知らせなかった。惨めで情けない姿を、見られたくなかったからである。
 今こうして、夕焼けを見つめながら、病室のベッドに横たわっていると、タキの『皆と一緒にもっと生きてい
たい』という心が、しみじみと伝わってくる。同時に、祖母の貴重な教えを、麻子は思い出していた。

 「人生、山あり谷ありやで。いい時もあれば、悪い時もある。負けるが勝ちの時もある。どんな時でも、まっす
ぐに生きておれば、必ずいい時が巡ってくるもんなんやから」

 就職した時、ベッドの上から麻子に告げた言葉であった。おそらく、これから社会に出て行く世間知らずの孫
娘を案じての言葉であっただろう。タキはまた、こうもつけ加えた。

 「人との出逢いは大切にせなあかんで。誰が良い人かを見極めることも必要や。人の本質はな、例えば、麻ちゃ
んが失敗したり、悪い状態になった時にわかるもんや。今までチヤホヤしていても、プイとソッポ向く人は、ほんまに麻ちゃんのことを思ってへん。辛い時に支えてくれる人こそ、ほんまに大切な人や」

 かつて、自分自身も気付かぬうちに、他人に対して、ソッポを向いてきたこともあるだろう。この挫折がなけ
れば、一生気付かなかったかもしれない。痛みのわかった今だからこそ、人の優しさ、有難さに心底、感謝出来るようになれると、麻子は確信していた。
 その時、ドアが開いた。奈津だった。文句を言いながらも、毎日病室を訪れてくれる母親の愛情を、麻子はあ
らためて感じていた。
 唐突に麻子は、呟いた。
 「おばあちゃんのお墓参りに行きたいな・・・」
 奈津はちょっと驚いたが、大きく頷くと、「そうやね。麻子が元気になったら、行こう」と応えた。
 あたりはすっかり薄暗くなっていたが、麻子の表情には、明るさが差し込んできていた。それは、長い間、麻
子が忘れていた穏やかな表情でもあった。

(1996年8月 神戸新聞文芸小説 佳作「夕焼け」by とうのよりこ)

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