エッセイ 「たまにはピアノ」
「たまにはピアノ」 とうのよりこ
我が家にピアノがやってきた日のことは、忘れられない。小学校から帰ってきた私は、目を疑った。欲しくて欲しくてたまらなかったピアノが、リビングにあるのだ。
「これ、どうしたの?」
「買ったのよ」
母は、にんまり笑った。
「ちょっと変わってるでしょ」という通り、一風変わったピアノだった。一般的にピアノといえば、黒が主流である。だが、目の前にあるピアノは、ライトブラウン。イスもベンチシートで、フタを開けると、楽譜が収納できるようになっている。
「たまたま楽器店の前を通りかかったら、これが見えてね。店のご主人に聞いたら、輸出用に数台作ったんだって。小さな家でもこのサイズならジャマにならないでしょうって。それに、ちょっと値段も安かったの。まさに我が家にピッタリよね」
価格の安さもそうだが、ありきたりのピアノと違うところが、気に入った理由のようだ。いかにも、ユニークさを好む母らしい。
「ちゃんと練習するのよ」
母に言われて、私は素直に頷いた。この時は、まだピアノに熱中していたので、すぐに練習をはじめた。
「ド」を軽くたたいてみる。ボーン・・・。
なんて、なんて、キレイな音。はねるように部屋に響きわたる。私は興奮した。楽譜を取り出し、夕食までひたすら練習した。
その姿に、母はいたくご満悦だった。私をピアニストにしようだなんて考える母ではない。ただ、子供の才能を伸ばしてやりたい、それだけである。だから、私が「絵を習いたい」と言えば絵画教室。「お習字がうまくなりたい」と言えば、習字教室。ピアノも私のひとことから習い始めた。「ピアノをやってみたい」。
しかし、私は元来飽き性である。なんでも習い始めは一生懸命。それがある日突然、プツンと熱がさめる。ある程度のレベルに達すると、満足してしまう。とことん極めることはない。
現在にいたるまでのお稽古事は、絵画に始まり、習字、ピアノ、バレエ、英文タイプ、英会話、お茶、お花、料理、テニス、そしてゴルフ。母曰く、「続いているのはゴルフだけ」。確かに、ゴルフが続いているのは奇跡に等しいかもしれない。
ピアノも同様だった。幼稚園から小学校低学年までは、熱心に練習した。だが、そのうち家で練習する回数も減り始め、とうとうピアノの先生に「教室にきて練習するから、ぜんぜん上達しないんですよ。少しは家で練習してきなさい」と言われる始末だった。
心外である。一応、家で練習はしていた。前ほど熱心ではないにせよ。ただ、どうも先生の教え方と合わなかった。私はどちらかと言うと、自由に弾きたいタイプである。それに曲の好みもある。嫌いな曲になると、関心が薄れ、練習する意欲もなくなる。だからといって、この頃はまだ子供だったから、面と向かっては先生に逆らうこともできず。
とうとう、小学校6年生半ば、「中学受験があるので」という理由でやめてしまった。
お隣のおじいさんは、私がピアノをやめたことを残念がった。おじいさんは、私のことを「ちっちゃなピアニストさん」と呼び、下手なピアノの音色を楽しみしてくれていた。
「夕食の準備が始まる頃になると、かわいい音色が聞こえてくる。今日は昨日と違う曲だ。ひとつ前に進んだんだね。あ、間違えた。もう一度最初から。もう一度・・・。毎日楽しみにしてたんだよ」
「教室やめても、時々ピアノは弾きますから」
「そう?」
「たぶん・・・」
しかし、ピアノの前に座ることはなかった。数年後、おじいさんは亡くなり、私は約束を反故にしたことになった。
大学に入ってから、楽譜を買ってきて、しばらく練習したことはある。だが、長年調律していないピアノは、かなり音がずれていた。だからといって、高い調律代を払う気にもなれず、無理やりずれた音のままで弾いていると、耳がおかしくなりそうだった。
甥っ子が小さい頃は、彼の絶好のおもちゃだった。
「ピアノ、習いたい?」と聞くと、「ううん」と首を横に振った。彼が「習いたい」と言えば、譲っていたかもしれない。しかし彼にとって、ピアノはあくまでおもちゃにすぎなかった。音が出るのがただ楽しいだけで、音楽を奏でるものではないのだ。
結局、ピアノは相変わらずリビングに鎮座している。何故か手放す気にはなれない。
「どうして私はピアノを習いたいと思ったのだろう?」
ふと考えた。
幼稚園でピアノブームが起きたから。初めてピアノの音色を聞いたとき、「なんてキレイな音」と子供ながらにいたく感動した。
母親たちは子供にピアノを習わせることが、ステータスの証しになり、子供もピアノを習っていることが自慢になった。
「○○ちゃんが習ってる。△△ちゃんも。じゃあアタシも」
私もそんな理由だった。
数人の友人に、ピアノについて聞いてみた。
「ピアノ?嫁入りのときに売っちゃったよ」
「私は実家に置いてきた」
「あら、私は持っていったわよ。いまはジャマになってるけど」
子供に習わせないのか、と聞いた。
「ああ、興味ないみたい。いまはどちらかと言うと、英会話とか将来のことを考えたお稽古事をさせてる」
「そうね。ピアノもいいけど、どうせピアニストになれるわけでもなし。自分自身がそうだったでしょ」
「ウチの子供はいまも習ってるけど、発表会とかお金かかるのよね」
発表会・・・。私も毎年出ていた。最初の2年は、私の演奏を母がレコードにしてくれた。そのレコードは残っているはずだ。
弾いた曲も覚えている。とても緊張して手足が震えたこと。2回間違えたこと。そして、挨拶もそこそこに舞台を後にしたこと。
数年ぶりに、ピアノを開けてみる。あまり手入れをしていないが、鍵盤はそこそこキレイである。ベンチシートのフタを開ける。楽譜はすべてとってある。「学生のためのピアノ練習曲」を手にとる。ページをめくり、その曲をさがした。
あった。「金の星」。発表会で弾いた曲。短いが、軽やかで楽しい曲だった。
弾いてみよう、と鍵盤に両手を置いた。7歳の私が弾いたのだから、簡単な曲である。
「ド」をたたいてみる。ボーン・・・。ちょっと音が悪いかな。「ドレミファソラシド」と弾いてみると、ところどころ音がずれている気がする。調律していないから仕様がない。
楽譜を見ながら、いきなり弾こうとした。が、両手が合わない。仕方なく、片手ずつ弾いてみる。右手はともかく、左手の動きが鈍い。長年弾いていないと、こんなふうになるのだろうか。
練習を始めてから、約1時間。悪戦苦闘の末、やっと何とか弾けるようになった。
横で聞いていた母がひと言。「どういう心境の変化?」
ふれもしなかったピアノを弾いているのだから、驚くのも無理はない。
ピアノを続けていれば良かった、と少し後悔した。
飽き性とはいえ、一時的なもの。またすぐにやりたくなる。そしてまた飽き、やりたくなる。その繰り返しである。
たまにはピアノを弾いてみよう。
「ちっちゃなピアニストさん」と、楽しみに聞いてくれたおじいさんもいないけれど。もっとも、もはや「ちっちゃなピアニストさん」ではない。さしずめ「○○の手習い」である。
(2007年10月 「たまにはピアノ」 by とうのよりこ)
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