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エッセイ 「男の子?女の子!」

「男の子?女の子!」  とうのよりこ

 今年の夏も暑かった。年々暑さが増していく。10月に入って、ようやく涼しくなったが、果たして来年はどうなっているのか。考えるだけでも憂鬱である。
 「来年は、夏のゴルフを控えよう」と言う私に、母がつぶやく。
 「そう言えば、全然泳ぎに行かないわね。子供の頃、あんなにプールが好きだったのに」
 それもそうだな、と思う。最近は泳ぐどころか水着姿にもならない。これは年のせい。
 「小さいときなんか、お決まりの格好で、ほらそこ。玄関にちょこんと座って」
 母はそう言って、玄関を指さした。さした方へ目を遣ると、幼い私が座っているかのように見える。
 「赤いカンカン帽をかぶって、お兄ちゃんのお古の海パンと黄色い海水帽かかえて」
 母がくすくす笑う。つられて口元がゆるむ。

 かすかに覚えている。アルバムを見ると、証拠写真が残っているから事実なのだ。幼い私は、兄のおさがりの海水パンツと黄色い海水帽をかぶっている。
 あれは、私が3歳くらいの頃。正確な年はわからない。まだ自分が何者なのかわかっていなかった頃のことだ。
 名前だっていい加減に呼ばれていた。母は勝手に私を『プーちん』と呼んでいた。
 「ほっぺたがプーってふくれてて『プーちん』って感じだったから。愛情こめて呼んでたのよ。それに『プーちん』って呼ぶと、アナタ嬉しそうに返事してたわよ」
 と悪びれもせず言う。
 当たり前である。母親に呼ばれれば、嬉しそうに返事をするだろう。子供だもの。

 その『プーちん』と呼ばれていた私はプールが大好きだった。父親ゆずりの汗かきだった私は、梅雨に入るともう汗びっしょり。まるで頭から水をかぶったように汗をかいていた。タオルで拭いても拭いても、汗が吹き出してくる。つむじに噴水がくっついているようだった。
 まだクーラーもない時代、真夏の夜はとにかく寝苦しかった。扇風機の風は生ぬるく、むしろ網戸からこぼれ入る夜風のほうが涼しく感じられた。だから、夜風に少しでもあたりたくて、縁側ぎりぎりに寝る。板の間だから少々痛いが、木の感触が冷たく気持ち良い。それでも、朝になれば汗びっしょりだった。
 だから、水に対する抵抗はまったくなかった。私はプールが大好きだったのだ。毎日でもプールへ行きたかった。しかし、母は大のプール嫌い。三宮へなら毎日でも連れて行ってくれたが、プールへは渋々である。
 「あの水がダメなのよ。バイ菌がうじゃうじゃいそうで」
 だからプールへ行っても、母は絶対水の中には入らない。いつもプールサイドで見ているだけである。
 頼りは父だけである。しかし、仕事が忙しいからなかなか連れて行ってくれない。大抵の休日は、休養したいらしく家でゴロゴロしている。「連れて行ってほしいなあ」と目で訴えかけても、あまり通じない。仕方がないので、お風呂に水を張って我慢をする。小さい私には、お風呂でも充分広い。

 ある日のこと、父と兄が何やら相談をしていた。時々、私の方を見る。だが、目が合いそうになると、さっと視線をそらす。
 あやしい。私はピーンときた。絶対そう。そうにちがいない。
 慌てて二階へ駆け上がった。バンビの絵柄のタンスから、例のモノを取り出した。洋服も着替えた。我ながらテキパキ素早いな、と思うほどだった。バタバタと階段を駆け下りた。そして、玄関で父と兄が来るのを待った。
 絶対来る。わかってるんだから。自信があった。
 「あれっ!」
 玄関に現れた父がビックリして叫んだ。
 「どうしたの?お父さん」
 母が顔を出した。
 「あらっ。プーちん。その格好どうしたの?」
 私は答えなかった。答えなくてもわかるでしょ。この出で立ちを見れば。得意げな顔をした。
 「あー、お父さんとお兄ちゃん。二人でこっそりプールへ行こうとしたのね」
 母の言葉に、父と兄はバツの悪そうな顔をした。
 「なんでわかったんやろ?オマエ、喋ったんか?」
 父は、兄に向かって聞いた。兄は、とんでもないという表情で、ブルブル首を横に振った。
 「しゃあないなあ。ほんなら、三人で行こか」
 ばれてしまったら仕方ない。父は私の手をとった。タバコのヤニ臭い父の手。普段はあまり好きではないが、この時ばかりは違う。大好きなプールへ連れて行ってくれる、神様のような手なのだから。
 背後で兄のブツブツ文句を言う声が聞こえた。聞こえていても、当時の私にはわからなかっただろう。しかし、今なら兄が何と言っていたのかわかる。
 「ちぇっ。またか…」
 兄がまた、と言うのは、もちろん私の出で立ちである。自分のお古の水着を着る妹。女の子なのに、平気な顔で海水パンツをはいている。それが当たり前だと思っている馬鹿なヤツ。
 恥ずかしいのだ。確かに、当時の私は髪もショートカットで、男の子のように見えた。よく男の子に間違えられた。しかし、男の子に間違えられても、あまり気にならなかった。というより、事の次第がよくわかっていなかった。
 何でもお兄ちゃんといっしょ。兄と同じでなければならなかった。ただそれだけだった。だから、プールで泳ぐときは海水パンツでなければならないのだと信じていただけなのだ。
 ところが、兄にしてみればいい迷惑である。変な格好をしている妹。でも妹だから面倒は見なきゃならない。ひとりなら自由に泳げるのに・・・。
 当の私にそんな兄の思いがわかるわけもなく、プールに行けるとはしゃいでいた。
 母は家の外まで、親子3人を見送ってくれた。
 「気をつけてね。お兄ちゃん、プーちんのこと、ちゃんと見てちょうだいね」
 兄はそっけない返事をしたが、私は元気に母に手を振った。

 日曜日のプールは大勢の人が来ている。人、人、人であふれかえっていて、プールが狭く感じるほどだ。母が嫌がるのもわからないでもない。
 父に手伝ってもらって着替えた。海水パンツと黄色い海水帽。着替えると、浮き輪を持って、プールサイドへと出た。
 「準備体操をしてから入るんだよ」と父に言われ、兄のマネをし、1,2,3,4と身体を動かした。兄はマネをされるのがイヤらしく、適当にすませると、さっさとプールに飛び込んだ。私も慌てて、浮き輪を持って、プールへ入った。
 つめたい!でも気持ちいい!
 私はすっかり嬉しくなった。プールに入るだけで、もう幸せなのだ。父と兄は「面倒を見なければ」と言うけれど、私は放っておいてくれていいのだ。私なりの遊び方があるから。

 まず、プールサイドから浮き輪を水面に放り投げる。浮き輪は水面をプカリ、プカリと浮かぶ。その浮き輪を目指して、ザブンと足から飛び込む。身体は水の中へ一気に沈みこむが、やがてふわっと浮き上がってくる。これを何度も繰り返す。小さな子供にしたら、少々危ない遊び方だが、失敗したことは一度もない。
 でも、あるのだ。失敗することだって。
 私は浮き輪を放り投げた後、飛び込む時に、ほんの少しプールサイドで滑りそうになった。そのまま倒れると、下はコンクリートだから痛いことは知っている。だから、バランスを崩したまま、無理やりプールに飛び込んでしまった。しかも、浮き輪がないところに。
 まだ泳げなかったから、当然溺れた。アップ、アップしながら、どんどん水の中に沈んでいく。声なんて出やしない。水の中だもの。ゴボゴボ水を飲むばかりだ。もう何が何だかわからない。
 そのときだ。
 急に身体がふわりと浮いた。息ができる。水中から出られたのだ。

 「大丈夫か?ぼうや」
 見知らぬおじさんが助けてくれたようだ。私を抱えながら、心配そうに顔を覗きこんでいる。
 「どこもケガしてへんか?ボク、痛いとこあらへんか?」
 私はただただ呆然としていた。
 父の声がした。振り返ると、父と兄が慌てて走ってくるのが見えた。私は父の顔を見ると、安心したのか、わあんと泣き出した。
 「すんません。ウチの娘です。助けてくださって、有難うございます」
 父の言葉におじさんは、きょとんとした。
 「え?娘?ぼうやと違うかったんか?」
 おじさんはあらためて私をしげしげと見た。海水パンツに黄色い海水帽。どこから見えても男の子にしか見えない。
 父は頭をかきながら、「こんな格好させてますからね」と苦笑した。
 「なんや、お嬢ちゃんやったんか。おてんばさんやなあ」
 おじさんは高らかに笑うと、私をプールサイドに立たせ、頭を軽く撫でた。そして、その場を立ち去った。父は何度も頭を下げていた。
 「危ないことしたらあかんやろ。さっきみたいに溺れてしまうやろ」
 父は私をたしなめた。私はぐずぐず泣きながら、黙りこんだままだった。そして、帰るまでプールに入ろうとしなかった。兄はもう少し泳ぎたかったと思うが、私が溺れたこともあり、早々に引き上げることになった。

 帰宅して、父は母に事のいきさつを報告した。母はビックリして、ひどく怒った。
 「ちゃんと見ててくれないと!何かあったらどうするの?」
 「いやいや、親切な人が助けてくれたから」
 「たまたま助けてくれる人がいたから良かったものの。だいたいアナタは、いい加減なのよ。プーちんが赤ちゃんの時もお風呂で溺れかけたことがあったでしょ」
 「あれは、プーちんを浴槽の端に座らせといて、シャンプーしてたんや。髪の毛をゆすぎ終わったら、プーちんが風呂に仰向けにプカプカ浮いとったんや。滑り落ちたんやな」
 「仰向けにプカプカ浮いとった・・・って、まったくアナタという人は」
 母の怒りがなかなかおさまりそうにないので、父は話をそらすことにした。
 「それでな、助けてくれた人が、プーちんを男の子と間違えてな」
 「そんなことはどうでもよろし!」
 これ以上父と話をしてもラチがあかないと、母は諦めた。

 母は私のほうを見ると、「どっか痛いとこない?大丈夫?」と心配そうに聞いた。
 そう母に聞かれ、私はポロポロ泣き出した。
 「どないしたん?どこが痛いの?」
 「・・・ちがう」
 「なに?何やの?」
 「アタシ、女の子やのに・・・」
 私は溺れたことより、男の子に間違えられたことがショックだったのだ。
 「男の子みたいな格好してるからよ。お兄ちゃんの海水パンツはいてるから。だから間違えられたんよ」
 「そんなん、いやや。女の子のがいい」
 私はおいおい泣いた。今まで女の子用の水着を買おうと母に言われても、興味を示さなかった。私のアタマの中では、「プール = 海水パンツ」だったからだ。
 母は私を抱きしめながら、「かわいい水着を買おうね。女の子用のね」と言った。
 私はしゃくりあげながら、頷いた。

 もう夏も終わりかけの頃のことだった。だから、女の子用の水着は次の年までお預けになった。

(2007年10月 「男の子?女の子!」 by とうのよりこ)

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コメント

プーちん大統領万歳。

投稿: ta | 2007年10月 9日 (火) 22時28分

今は、男の子のイメージはありませんが、「プーちん」は時々姿を現しますね。

投稿: zen | 2007年10月 9日 (火) 22時29分

「プーちん」とは呼ばないで。。。

投稿: yoriko | 2007年10月10日 (水) 23時28分

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