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2011年1月

MRI検査(脳編)

頭痛に悩まされ、かれこれ数十年。

ワタクシ、自慢じゃないけど、
頭痛もちと気づいたのは小学生の頃。
カゼをひくと、ステンレスの階段音が鳴り響き、
ガンガン頭痛。
あと、夕日を見ると、アタマ痛くなってましたね。

最近は、頭痛もしつこくなってきたというか、
薬を飲んでも、なかなか良くならない。
アタマが痛いと、精神的にも不安定に。

大丈夫なんだろうか・・・。

ふと不安にかられ、かかりつけ医のN先生に相談すると、
「肩・首こりからくるものと思うけど、一度検査してみる?」

MRI検査は前々からすすめられてたのですが、
ふんぎりがつかず、断ってました。
でも今回は、受けてみようと思い、予約しました。

MRIは三度目。
最初に受けたのは、神戸市民病院。
「閉所恐怖症ですか?」と聞かれ、
「いいえ」と答えたのですが・・・

ワタシは閉所が苦手でした!
閉所、コワイ!!!


以来、「MRIはノーサンキュー」で通してたんだけど、
腰痛がひどく、レントゲンでも異常がなかったので、
「じゃ、MRIにする?」とN先生。
「市民病院で受けたとき、ものすごく怖かったの・・・。
 そうはいっても、痛みには変えられないなぁ」

予約してもらったのは、白眉会画像クリニック。
ここだけの話ですが・・・、
設備が市民病院より新しいせいか、閉塞感もなく、
大丈夫でした。
それに、市民病院と違って、待ち時間もないし。

というわけど、今回も白眉会画像クリニックへ。
検査前の診察(めちゃくちゃ若くて可愛い女医さんでした)を
経て、検査着に着替え、検査室へ。

ヘッドホンから聞こえるのは癒し系のBGM。
(葉加瀬太郎さんかな?)
だけど、あの騒々しい検査音は相変わらず。
なんとかならないかしらん。

20分弱で終わり、フィルムをもらって、N先生の病院へ。
あ、検査費は 7,800円 でした。
高いですねー。

受付でフィルムを渡した後、少しの間待っていると、
名前を呼ばれたので、診察室へ。
フィルムを眺めるN先生の傍に行き、
「どうですか?」
と聞くと、N先生の笑顔が返ってきました。
「キレイな脳だよ。しっかりつまってるし、
 血管のつまりとかもないし、大丈夫」

ああ、良かった~!

初めて見る自分の脳の断面図。
大丈夫と言われても、どこがどう大丈夫なのか、
所々に見えるモノは何なのか、気になるので、
「ここの白いところは?」
「この場所は何?」
「ここはどうして切れているの?」
質問攻めのワタクシ。

N先生は、詳しく教えてくれました。
はぁ~~~、やっぱりお医者さんって、すごいなー。

結果を聞いて、安心したのか、急にお腹がグー。。。

中央ベーカリーの豚まんが食べたい・・・。

5個買って帰り、2個パクッ。
美味しかった。

それに、なんともなくて良かった。。。

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伯母の一生(2)

従姉が差し出した3枚の写真。

1枚目は、若かりし頃の伯父と伯母。
誰かの結婚式に出席したときのものだろう。
伯父はモーニングコート、伯母は黒留袖を着ている。

「伯母ちゃんの笑顔、とってもキュートね」

なんというか、写真慣れしたような笑顔である。
鏡に向かって、笑顔の練習をしている様子が想像できる。

2枚目は、晩年の2人。
黒部ダムへ家族旅行をしていた時のもの。
年を重ねても、笑顔は相変わらずキュート。

「母がパーキンソン病になって、『これが最後の旅行になるかもなぁ』って、父が連れて行ってくれたんよ。その父が先に逝っちゃったんだけどね」
従姉の顔が少し曇る。
なんとも言いがたい。

3枚目は、介護の家で撮影したもの。
遺影にもなった写真だ。
明るい人柄がよく表れている。

「知ってる?伯母ちゃんは若い頃、”ライオンさん”って呼ばれてたんだって」
そう言うと、従姉が怪訝そうな顔をした。
「ライオンさん?」
「うん。今の会社に就職した時、当時の社長が伯母ちゃんのことをよく知ってて、『アンタの伯母さん、”ライオンさん”で有名やったんやで。あの”ライオンさん”の姪御さんかいなー』って言われたの。理由を聞くと、『いつも派手な洋服を着て、パーマをかけたふわーっとした茶色の髪の毛やったから、そんなあだ名がついたんや』って言うの」

従姉はビックリして
「ええーっ!?ウチの母親って、不良だったの?」
と言った。
不良という表現もおかしいが、まあ当時としてはそうだったのかもしれない。

「社交ダンスが得意だったんでしょ?その話も聞かされたわ」
「そうやねん。ダンスが好きで、遊ぶことが大好き。やっぱり不良やわー」
「ダンスで伯父ちゃんと知り合って結婚したんでしょ」
「そうそう」

従姉と私の話を聞いていた叔母(末っ子)が
「お姉ちゃんね、クリスマスの時期になると、ダンスパーティ用の貸衣装のドレスを部屋に吊り下げてたわ。当時、つけまつげを着けてる人なんて珍しかったのに、いち早くつけたんよ」
と笑いながら話してくれた。
「貸衣装のドレスに、つけまつげ?アハハハハ、いかにも伯母ちゃんらしい!なんか想像できるわー」
「お肌の手入れも念入りにしてたから、いつもツヤツヤだったしね」

ふと遺影に目をやると、本当にツヤツヤした肌をしている。
最期に見た顔も、キレイだった。


伯母ちゃん、人生を謳歌しましたか?
幸せだった?
ここにいる皆は、「好きなことをして生きてきた人だから、幸せよ」なんて笑ってるけど。
ずっと心配してた娘夫婦と孫も大丈夫みたいよ。
あの世で、お祖母ちゃん、伯父ちゃん達と見守ってくださいな。
あんまり我が儘、言わないようにね。


遺影を見ながら、そんなことを思った。
伯母の享年は、奇しくも祖母と同じ年であった。

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伯母の一生(1)

1/16の夕方、伯母の訃報が届いた。

伯父に先立たれてからの4年間、伯母は介護の家で悠々自適の生活を送っていた。
暮らしていた部屋は、トイレ完備の広々とした個室。
伯父が生前、「もしものときは・・・」と施設を調べ、数千万かかる入居金を用意し、月々の費用(10数万)も算段してくれていたのだと、一人娘である従姉から聞いた。

晩年、伯母はパーキンソン病を患っていた。
「たぶん、あいつ(伯母)のほうが先に逝くだろうなぁ」
そう考えていた伯父であったが、ある時ガンが発見された。
手術で一時的に回復したが、すぐ再発した。
おそらく、壮絶な痛みに苦しんでいたと思うが、
病に臥していても、伯母の介護をしていた。
そして、苦しんで苦しみぬいて、伯父は亡くなった。

物静かな伯父と違い、伯母は明るく我が儘な性格であった。
6人きょうだいの2番目で、長女。
長年、子供が出来なかった祖父母は、伯母が生まれる前に男の子を養子として迎えていた。
養子を迎えたとたん、子供が出来、伯母が生まれた。
待望の実子である。
それこそ目の中に入れても痛くないほど、祖父母は伯母を可愛がり、何をしても叱らず、結果、我が儘に育ってしまった。

面白いことに、伯母が生まれたあと、祖母は母、叔母、叔父、叔母を産み、結局6人の子宝に恵まれたことになる。
長女である伯母と末っ子の叔母は、18歳年が離れている。
親子ほど離れている姉妹なら、末っ子の面倒は長女が見るだろうと思うが、伯母は違った。

「そんなん見るヒマないわ。遊ぶのに忙しいのに」
ケロッと言うような人だった。

因みに末っ子の面倒を見ていたのは、我が母である。

さて、年末のこと。
肺に水がたまったので手術するという連絡があり、母ともども心配していた。

様子を見に行った叔母(末っ子)から
「水ぬいたら、ピンピン元気に、ご飯にお菓子を食べてるわー」
と電話があった。

「さすが、伯母ちゃん。すさまじい生命力だわ」
母と二人、苦笑した。
「お見舞いに行かないとね」と話をしていたが、忙しさにとりまぎれ、
「年が明けたら」「もう少し暖かくなったら」と延ばし延ばしになっていた。

そんな時、急変したとの電話があり、あっけなく亡くなってしまった。

従姉から、末期の肺ガンだったと聞いた。
「年末に転倒して、軽いケガですんだんよ。ただその時、ヒューヒューって変な音がするから、MRIで検査してもらったの。そしたら、末期の肺ガンだっていうの。肺にたまってた水を抜いたら、痛みもなくなったみたいで、お正月もお節を食べて、元気だったんだけど、少しずつかな。衰弱していって。目を閉じたまま、ゆすってもなかなか目を開けてくれない時が増えていった」
「最期は苦しんでたの?」
「ううん、苦しいっていうのはなくて、眠るように亡くなっていったの。でも、私も最期は間に合わなかったんだけどね」
「苦しいのは、伯父ちゃんが引き受けてくれたのかなぁ」
「そうかもしれない。父親は、母のことを心配してたから」

キレイな死に顔だった。
生前から高齢の割には、肌も髪もツヤツヤしていて、オシャレな伯母であったが、棺の中で眠る顔も、穏やかであった。

「お祖母ちゃんの顔に似てるわ」
そう呟くと、
「あ、ウチの母がお祖母ちゃんに一番似てるものね」と、従姉。

そして、バッグの中から古い写真を3枚、取り出した。

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1月合同月例 バンカー克服できず!

バンカーショットは、苦手ですねぇ。
5日のラウンドで、最後のバンカーショットで
コツがつかめた気がしたのに・・・。
やっぱりまだダメでした。

ああ、あの余分な数打がなければ。
3パットがなければ。
OBがなければ。

いつものように「たられば」で、
合同月例は過ぎていったのでした。。。

ランチもやっぱりパスタセット。
今日はバジリコソースをいただきました。
Lunch_1101091

Lunch_1101092

Lunch_1101093

IN 11番Hのクロネコ君。
「うぇーい、うぇーい」とエサをねだってます。
いくら鳴かれても、何も持ってないんだよ。。。
Cat_110109

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2011年の初打ちはライオンズ

年末年始、とても寒かったですね。
3日あたりから、すこーし寒さもマシになり・・・
今日、2010年の初打ちに行ってきました。

コースは、ライオンスカントリー倶楽部。
去年9月にラウンドしたので、今回2回目デス。
前回はブルー→レッドでしたが、
今回はホワイト→ブルー。

名前通り、一面雪で真っ白のホワイトコース。
寒い・・・
Lions_w01

8番Hまでいくと、だいぶ雪も解けてきましたが、
ティグランドがカチカチで、ティがささらないっ。
かよわいワタシのチカラではムリなのかしら・・・
と、足で踏んづけたら、ティがボキッと折れちゃった。
同組の方に一生懸命アナをあけてもらって、
なんとかティショット。
Lions_w08

午前ハーフを終えて、クラブハウスに戻ってきたら、
「後ろの組(3人)に、先行ってもらっていいですか?」
スタッフの人に聞かれたので、同組の方が
「いいですよ」と快諾すると、
「2時間25分もかかってるんですよ。遅いから」

何?今のはイヤミ?(ワタシの心の声) 

「そんなに遅かったですか?」
「8時半にスタートされたでしょ。かかってますよ」

時計を見ると、確かに。
2時間10分のプレーは承知してますよ。
でも、雪でカチンコチンで、ティをさすのも、一苦労。

そんなイヤミな言い方をしなくても良いんじゃない?(心の声)

気をとりなおして、お昼ご飯
ランチバイキングでした。
レストランのスタッフさんは、皆さん親切だったので、良かった。

食べれないとわかっていても、とってしまう・・・バイキング。
Lunch_110105

さて午後は、ブルー。
橋をガタンゴトンと渡っていくので、遊園地へ行くみたい。
雪は解けてましたが、お日様が照らず、寒い・・・。

午後からは、きっちり2時間10分でまわり、
「2時間10分でまわってきましたよっ」
と、さっきのスタッフへ報告。(同組の方がね)

お風呂に入って温もってから、帰りました。
あ、スコア?
練習してない割には、こんなもん・・・かな。。。

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