従姉が差し出した3枚の写真。
1枚目は、若かりし頃の伯父と伯母。
誰かの結婚式に出席したときのものだろう。
伯父はモーニングコート、伯母は黒留袖を着ている。
「伯母ちゃんの笑顔、とってもキュートね」
なんというか、写真慣れしたような笑顔である。
鏡に向かって、笑顔の練習をしている様子が想像できる。
2枚目は、晩年の2人。
黒部ダムへ家族旅行をしていた時のもの。
年を重ねても、笑顔は相変わらずキュート。
「母がパーキンソン病になって、『これが最後の旅行になるかもなぁ』って、父が連れて行ってくれたんよ。その父が先に逝っちゃったんだけどね」
従姉の顔が少し曇る。
なんとも言いがたい。
3枚目は、介護の家で撮影したもの。
遺影にもなった写真だ。
明るい人柄がよく表れている。
「知ってる?伯母ちゃんは若い頃、”ライオンさん”って呼ばれてたんだって」
そう言うと、従姉が怪訝そうな顔をした。
「ライオンさん?」
「うん。今の会社に就職した時、当時の社長が伯母ちゃんのことをよく知ってて、『アンタの伯母さん、”ライオンさん”で有名やったんやで。あの”ライオンさん”の姪御さんかいなー』って言われたの。理由を聞くと、『いつも派手な洋服を着て、パーマをかけたふわーっとした茶色の髪の毛やったから、そんなあだ名がついたんや』って言うの」
従姉はビックリして
「ええーっ!?ウチの母親って、不良だったの?」
と言った。
不良という表現もおかしいが、まあ当時としてはそうだったのかもしれない。
「社交ダンスが得意だったんでしょ?その話も聞かされたわ」
「そうやねん。ダンスが好きで、遊ぶことが大好き。やっぱり不良やわー」
「ダンスで伯父ちゃんと知り合って結婚したんでしょ」
「そうそう」
従姉と私の話を聞いていた叔母(末っ子)が
「お姉ちゃんね、クリスマスの時期になると、ダンスパーティ用の貸衣装のドレスを部屋に吊り下げてたわ。当時、つけまつげを着けてる人なんて珍しかったのに、いち早くつけたんよ」
と笑いながら話してくれた。
「貸衣装のドレスに、つけまつげ?アハハハハ、いかにも伯母ちゃんらしい!なんか想像できるわー」
「お肌の手入れも念入りにしてたから、いつもツヤツヤだったしね」
ふと遺影に目をやると、本当にツヤツヤした肌をしている。
最期に見た顔も、キレイだった。
伯母ちゃん、人生を謳歌しましたか?
幸せだった?
ここにいる皆は、「好きなことをして生きてきた人だから、幸せよ」なんて笑ってるけど。
ずっと心配してた娘夫婦と孫も大丈夫みたいよ。
あの世で、お祖母ちゃん、伯父ちゃん達と見守ってくださいな。
あんまり我が儘、言わないようにね。
遺影を見ながら、そんなことを思った。
伯母の享年は、奇しくも祖母と同じ年であった。
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1/16の夕方、伯母の訃報が届いた。
伯父に先立たれてからの4年間、伯母は介護の家で悠々自適の生活を送っていた。
暮らしていた部屋は、トイレ完備の広々とした個室。
伯父が生前、「もしものときは・・・」と施設を調べ、数千万かかる入居金を用意し、月々の費用(10数万)も算段してくれていたのだと、一人娘である従姉から聞いた。
晩年、伯母はパーキンソン病を患っていた。
「たぶん、あいつ(伯母)のほうが先に逝くだろうなぁ」
そう考えていた伯父であったが、ある時ガンが発見された。
手術で一時的に回復したが、すぐ再発した。
おそらく、壮絶な痛みに苦しんでいたと思うが、
病に臥していても、伯母の介護をしていた。
そして、苦しんで苦しみぬいて、伯父は亡くなった。
物静かな伯父と違い、伯母は明るく我が儘な性格であった。
6人きょうだいの2番目で、長女。
長年、子供が出来なかった祖父母は、伯母が生まれる前に男の子を養子として迎えていた。
養子を迎えたとたん、子供が出来、伯母が生まれた。
待望の実子である。
それこそ目の中に入れても痛くないほど、祖父母は伯母を可愛がり、何をしても叱らず、結果、我が儘に育ってしまった。
面白いことに、伯母が生まれたあと、祖母は母、叔母、叔父、叔母を産み、結局6人の子宝に恵まれたことになる。
長女である伯母と末っ子の叔母は、18歳年が離れている。
親子ほど離れている姉妹なら、末っ子の面倒は長女が見るだろうと思うが、伯母は違った。
「そんなん見るヒマないわ。遊ぶのに忙しいのに」
ケロッと言うような人だった。
因みに末っ子の面倒を見ていたのは、我が母である。
さて、年末のこと。
肺に水がたまったので手術するという連絡があり、母ともども心配していた。
様子を見に行った叔母(末っ子)から
「水ぬいたら、ピンピン元気に、ご飯にお菓子を食べてるわー」
と電話があった。
「さすが、伯母ちゃん。すさまじい生命力だわ」
母と二人、苦笑した。
「お見舞いに行かないとね」と話をしていたが、忙しさにとりまぎれ、
「年が明けたら」「もう少し暖かくなったら」と延ばし延ばしになっていた。
そんな時、急変したとの電話があり、あっけなく亡くなってしまった。
従姉から、末期の肺ガンだったと聞いた。
「年末に転倒して、軽いケガですんだんよ。ただその時、ヒューヒューって変な音がするから、MRIで検査してもらったの。そしたら、末期の肺ガンだっていうの。肺にたまってた水を抜いたら、痛みもなくなったみたいで、お正月もお節を食べて、元気だったんだけど、少しずつかな。衰弱していって。目を閉じたまま、ゆすってもなかなか目を開けてくれない時が増えていった」
「最期は苦しんでたの?」
「ううん、苦しいっていうのはなくて、眠るように亡くなっていったの。でも、私も最期は間に合わなかったんだけどね」
「苦しいのは、伯父ちゃんが引き受けてくれたのかなぁ」
「そうかもしれない。父親は、母のことを心配してたから」
キレイな死に顔だった。
生前から高齢の割には、肌も髪もツヤツヤしていて、オシャレな伯母であったが、棺の中で眠る顔も、穏やかであった。
「お祖母ちゃんの顔に似てるわ」
そう呟くと、
「あ、ウチの母がお祖母ちゃんに一番似てるものね」と、従姉。
そして、バッグの中から古い写真を3枚、取り出した。
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