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2012年9月

9月のゴルフ

9月に予定したゴルフは5回。
内、2回はキャンセルし、3回行った。

月初めの神有カントリー倶楽部での合同月例。
ひさびさにスコアが安定した。
ボールの位置を変えてみたところ、良い結果になった。
アプローチとバンカーは相変わらず・・・。coldsweats01

2回目はゴルフ仲間との定例会。
毎年4回くらい開催しているのだが、今年は都合がつかず、2回目。
コースは花屋敷よかわ。
18H谷越えは、やはり越せず・・・。
9月も半ばというのに、暑くて暑くて、後半はスタミナ切れ。

3回目は会社の同好会コンペ。
コースは北六甲カントリークラブ西コース。
初めて行くところだったので、どんなところかと期待と不安半々。
コースレイアウトも距離感もわからず、前半のINは苦戦。
OBも4回出してしまった。
ただ、一緒にまわっていた方から、アプローチを教えてもらい、
後半のアプローチとバンカーショットは格段に改善した。happy01

この調子でいけば、10月の合同月例も頑張れるかも。
母の介護に追われているので、ゴルフへ行ける機会も減ってるけど、
月1回は行きたいなぁ。。。

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母のこと(13)

9/23(日)、思いきって、父に切り出した。
「本棚と棚を移動させよう!」

母の具合が悪くなって以来、どこにベッドを置くべきか、ずっと悩んできた。
母は布団で寝起きしている。
手すりをつけたものの、やはり朝は布団から起き上がるのはつらいようだ。

ピアノを処分し、玄関のスペースをあけた。
父の隣の部屋にある本棚類を、ここに移動させれば、スペースが確保できる。

しかし、ぎっしりつまった本棚を見た父は、
「これだけの本を取り出すだけでも大変だ」と、なかなか動こうとしなかった。

業を煮やした私は、ついに行動に移した。
「本は私が取り出して、ブックオフに引き取ってもらうわ。
棚の移動は、お兄ちゃんに協力してもらう」

すぐ兄に電話をかけた。
事情を話すと、
「わかった。用事をすませたら、すぐ向かうよ」と快諾してくれた。

本を取り出すのは容易いが、取り出した本を並べるのが難儀だ。
家に置いておく本、捨ててしまう本に分け、
あとは兄に持って帰るかどうかを決めてもらうことにした。

2時半、兄到着。
少し休憩してから作業開始。
「えっ? こんなに捨てるの?」
「お母さん、要らないって」
「えーっと、持って帰るのを選びながら、分けよう」

細かい冊数は数えてないが、ダンボール(大) 1個、(小)3個に仕分け。
内、ダンボール(小)1個は兄の研究室送り。
残りはブックオフ引き取り。

次に本棚の移動。
ここからは父と兄の作業と思っていたが、
「お父さんは無理だね。二人でやろう!」
「私???」

・・・お兄ちゃん、私は腰が悪いんだよ。
ブツブツ言いながら手伝った。
予想どおり、腰に激痛がはしった。
それでも、母のためと頑張った。

移動作業が終わると、兄は「また来るよ」と帰って行った。

・・・今日ほど、お兄ちゃんに感謝した日はないよ。
ありがとう。

しかし、私の仕事はまだ終わらない。
ブックオフの手続きと、兄の研究室に送る宅急便の手配。
ああ、もう腰はガタガタ、膝も痛い、首もつりそう。

けど、頑張る!
こうなったら、気合いだ。

兄の研究室へは当日宅急便で送れた。
ブックオフは、翌日取りに来てくれた。
父も、介護用品の会社へ連絡し、電動ベッドの手配をしてくれた。

今日(9/26)、ベッドが到着した。
帰宅して寝転んでみると、寝心地が良い。
母も嬉しそう。
良かった。

訪問看護の手続きもすませたので、こちらもひと安心。
悩みも多いけど、なんとかなるサとプラス思考でいかなきゃね。

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母のこと(12)

9/7(金)以降、ブログを更新する気力・体力もなかったので、
かいつまんで。

貧血がひどかったので、9/12(水)、13(木)の2日間輸血をした。
その効果が見られ、体力が回復。

母、本人の希望「家に帰りたい」を尊重し、9/15(土)退院した。

だが家に帰るや、
今度は「(父と私に)迷惑がかかるから、やっぱり入院したい」。
すぐに苦しいとうったえ、「病院へ連れていって」。
9/17(月)~19(水)、連日病院へ連れて行った。

19日は父が定期検査で不在であったため、私は休暇をとっていた。
朝は調子が良かったが、時間が経つにつれ、胸が苦しいという。
病院へ電話すると、酸素吸入のレベルをあげるよういわれる。
1.0ℓ→3.0ℓへあげたが、症状は変わらず。
再度電話すると、診察するので、来てください、と言われた。

11時すぎ病院着。
病院は混んでいた。
血圧、体温、心拍数をはかったあと、心電図、レントゲン検査。
レントゲン検査に時間がかかり、1時間近く待った。
この間、検査待ちの女性との会話が楽しかったのか、
母の顔色も良くなった。

やっと診察がまわってきたのは、1時頃。
心臓は依然大きいが、入院中よりかなり小さくなっているとのこと。
母は相変わらず「入院したい。入院したほうが良いよね?」という。
「家に帰りたいって言わないですか?」と院長。
「言わない」と母。

入院することになった。
しかし、個室はいっぱいなので、4人部屋。
部屋へ行くと、寝たきりの高齢者ばかり。
隣の人は苦しいのか、ときどきうめき声。
少し不安。
また帰りたいと言い出しそう。

父が来たので、4時頃、交代して家へ帰る。
今日は私も病院へ行きたかったが、時間がない。
ただし、首と腰が痛いので、整骨院だけは行くことにした。
整骨院の先生に「介護による過労」といわれた。
もう痛みをとおりこして、なんだかよくわからない状態だ。

整骨院を出るとき、携帯電話を見ると、病院からの着歴。
いやな予感。
電話すると、
「家に帰りたいとおっしゃって、ナースステーション前の談話コーナーにいらっしゃいます。来てもらえますか?」

やっぱり。
昼もろくすっぽ食べていなかったので、夕食だけとり、病院へ向かう。
エレベーターを降りると、荷物をまとめた母が待っていた。
「こんなところに居たくない」。
どうやら部屋が気に入らないようだ。
仕方ないので、連れて帰る。

翌日、また「入院したい」と言い出す。
家に帰ると「入院」、入院すると「家」。
どうやらこの繰り返しのようだ。

父もどうしてよいかわからないと言う。
私だってわからない。
だが、母の本心は家にいたいのだ。
それだけはわかる。

ケアマネージャーに相談すると、循環器内科で往診してもらえる病院をさがしてくれた。
まずはひと安心。
それから、プランも変えてもらうようお願いした。
このままだと、父もダウンしてしまう。


昨日も苦しいと言い出し、病院へ連れて行くべきか迷ったが、
もしかして、便秘で苦しいのかも?と思い、座薬をいれてみた。
すると、スッキリして、苦しいのもなくなった。
叔母もかけつけてくれたので、本当に助かった。

在宅介護は、本当に難しい。
だけど、のりきるしかない。
いつか笑って話せる日がくると信じて。

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母のこと(11)

8/30(木)
  病院へ着くと、ぐったりしている。
  「家へ帰りたい。ここは合わない」と泣く。
  理由を聞くと、「言いたくない」。
  看護師は良いとのこと。(本当か?)
  追って、父到着。
  しばらく話をすると、落ち着いた。
  しかし、やはり頭痛の訴えあり。

8/31(金)
整形外科の先生にブロック注射を投与してもらい、気分は良いとのこと。
昨日の「帰りたい」理由は、
「ちょっと動こうとしたら、縛りつけられ、助けを呼んでも、聞き入れてもらえなかった」
とのこと。
看護師の名前は定かではない。

9/1(土)
15:30 病院へ着き、看護師に「縛り付けることはあるのか?」と聞く。
「車椅子から落ちないように、固定ベルトを使うことはあるが、それ以外は無い」との回答。
19:00 いったん帰宅するも、21:00 病院より電話あり。
母「死にそう」と泣いている。
急ぎ、父と向かう。
呼吸難。
当直の看護師の機転で、レントゲン、心電図撮影後、当直医による診察。
肺に水がたまっているので、尿で排出することになり、管をさす処置。
当直医へは、これまでの病歴を説明。(カルテには記載されていない?)
23:00 落ち着いたので、帰る。

9/2(日)
お昼前、病院より、外出先で携帯電話へ着信。
折り返し電話をすると、
「個室では目がいきとどかないので、ナースステーション前の大部屋(6人部屋)へ移した」とのこと。
外出先なので、どうすることもできず、「よろしくお願いします」と言わざるを得ない。
夕方、病院へ行く。
6人部屋の雰囲気悪し。
重度の認知症患者ばかり。
病室移動については、母が眠っている間に、家族への了解を得ることなく、移動したと判明。
「安全上」を強調するが、本人と家族の了承を得ず、また本人の精神的ストレスを考慮せず。
「移動を判断した者は、その権限を持っているのか? 管理体制は?」と質問しても、看護師からは、まともな答えを得られず。
しばらく大部屋でガマンしていたが、エアコンの噴出し口の前にあるため、寒い。
加えて、隣のベッドより奇声。
私のほうがガマンしきれず、再三、看護師と相談し、個室へ戻してもらう。
ようやく母が落ち着いた。

9/3(月)
19:00頃 病院着。
頭痛がひどいとのこと。
当直医(たまたま整形外科の先生だった)に看てもらうよう、強くお願いする。
先生より、オピオイドによるペイン治療の提案あり。
「明日院長と相談し、決定する」とのこと。
また呼吸難。
睡眠薬と頭痛薬で落ち着く。
眠ったことを確認し、帰る。

9/4(火)
19:30頃 病院着。
頭痛がひどいとのこと。
朝から、「家へ帰りたい」と院長へうったえたらしい。
院長からは「検査結果を見てからにしてほしい」とのこと。
それと、私と話したいとも。
院長とは、翌日会うことに。

※この日は、夜中看護師からひどいことを言われたらしい。
    勿論、親切な看護師のほうが多いのだが・・・。

9/5(水)
10:00 看護師長より電話あり。
11:00にアポイントをとっていると父から聞いていたが、正式ではなかったようだ。
午後からと言われたが、
「11:00と聞いて、午前半休をとった。午後からどうしてもはずせない仕事があるので、父に書面を託すので、読んでおいてください」と伝える。
とはいえ、気になるので、定時後すぐ病院へ。
着くと、院長と看護師長が居た。
母、入院継続を納得。
やれやれ。
私だけ、院長に呼ばれた。
「お手紙を読み、心不全のことをはじめて知りました。心臓のエコーを見て、こちらもビックリ仰天だったんです。」
「紹介状には書かれてませんでした?」
「ええ。で、エコー見てください。心臓が思ったより悪いんです。ポンプ機能が働かず、いつ停まってもおかしくないくらい。」
「そんなに悪いんですか?」
目の前が真っ暗になった。
渡されたのは緊急時の同意書。
「家にいる頃の状態に戻れる確率は?」
「1/3かな。もちろん、最善のことをしますよ。ただ、いざというときの覚悟はしておいてください。お父さんとお兄さんにも、そうお伝えください。」

私はこの日、号泣した。
あまりにも泣いたので、頭が痛くなり、吐きもどし、のたうちまわった。

9/6(木)
朝、目が覚めると、全身が痛い。
昨夜はあまり眠れなかった。
号泣したせいで、目は腫れ、誰なのかわからないほど。
それでも会社へ行かねばならぬ。
だが、私にも限界がある。
ふと気をぬくと、涙がとまらない。
急ぎの仕事をすませ、事情を話し、午後半休で14:00頃帰った。
帰宅し、シャワーを浴び、病院へ向かった。
「どうしたん?泣いたん?」と母。
やはり母はお見通しだ。
それでも、「目が痛いねん」とウソ。
「そう・・・」
だが、母はわかっている。
しばらくすると、叔母がやって来た。
昨日電話しておいたので、心配して来てくれたのだ。
「ちょっと売店へ行ってくる」と、部屋を出た。
涙がとまらない。
どうしたら良いのか?
涙を拭いて、部屋へもどる。
母がカステラを食べていた。
食べている姿を見ると、なんだか嬉しい。
細く長くで良い。
生きていてほしい。

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母のこと(10)

8月29日(水)、母が再入院した。
今度は家の近くにある総合病院である。
数年前、私が急性胃腸炎になったとき、救急外来で診てもらったことのある病院で、
ここなら近くて良いなぁと思っていた。
27日の日曜日も、診てもらえないかと電話をしたが、
「あいにく当直医が整形外科の先生なので・・・」と言われ、断念した。

父からの電話では、かかりつけの病院へ行くと、
「熱があるし、だいぶ身体も弱ってきているから、入院させたほうが良いのでは・・・」
と言われ、紹介状を書いてもらった。

院長の診察を受けると、病名は気管支肺炎。
頸部痛もうったえていたので、整形外科の先生にも診てもらった。
部屋は「絶対個室!」とゆずらず、事務の男性にさがしてもらったという。

行ってみると、キレイな個室だった。
洗面台はあるが、トイレ無し。
ただし、すぐ近くにトイレあり。
もっとも母はトイレへ行けないので、ポータブルトイレが用意されていた。

どこへ行っても、「頭が痛い。薬もらって」である。
入院期間は2週間。
また帰りたいと言い出しそう・・・。

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