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2013年11月

母のこと(55)

今日は、母が入院している病院の院長との面談があった。
ケアマネージャーも同席してほしいとの院長意向で、
当初、「あの人が同席するんなら、私は行かない」と拒んでいたが、
よくよく考えてみると、信頼できないケアマネージャー任せにしては、
かえって面倒になると考え直し、行くことにした。

「ケアマネが病院の場所もわからないと言うから、
いったん家に来てもらい、タクシーで一緒に行く」と、父。
「病院の場所ぐらい調べればすむことじゃない」
「まあ、そんな意地悪を言わんと」
そう言われ、渋々承知した。

今夜から寒くなるので、ハーフケット(電気毛布は持込禁止なので)、
紅茶、あまおうカルピスを用意していると、ケアマネがやって来た。
いつもの調子で、
「お父さん、今日ね、ヘルパー事業所のマネージャーも同席させることにした」
と、ため口で話す声が聞こえた。
無視して、母に持っていくものを準備していると、
「誰かいはるの?」と、のぞきこむように、私を見たので、
「娘がいます」と答えた。
「(一緒に)行かれるの?」
「今日のために、休暇をとったんです」
「あ、そう。カゼはどうですか?」
ひと月前のカゼを持ち出す無神経さに苛立ち、
「なおってません」とだけ、答えた。

私が怒っていることを感じ、父が退院後の話をしようと切り出した。
が、その話となれば、ますます父一人では、ケアマネがいい加減な対応となる。
私も席についた。
父が要望を出し、「フン、フン」と答えるケアマネ。
頭にきて、ついに言った。
「計画を立てるなら、きちんとメモをとってください。
この時間帯は第1希望、これがダメなら第2希望。
第1希望の場合、夕方は30分。第2希望の場合は、1時間。
いいですか?  言った、言わないの話にならないように。
それと、介護保険単位上限値から、訪問看護費、介護用品レンタル費は必須だから、
残りをどう振り分けるかを算出して、計画してください。
上限値内の場合、全ての要望を聞いた場合など、複数パターンになりますよね?
それを提示ください。この様式は、神戸市の所定様式で、間違いないですね?」
「おいおい、そんな言い方せんでも・・・」
「いや、この人にはきっちり言っておかないと、8月と9月のときのように、
あとでオーバーしたと事後報告になるから」

8月からディサービスの利用回数を増やしたら? とのケアマネ提案を受け、
水曜日と日曜日以外を組み入れた。
少しぐらいの超過は仕方ないと了解したが、実績値ははるかにオーバー。
あわてたケアマネが、
「9月から金曜日のディサービスはやめよう。2回くらいならいけると思うけど、
奇数週、偶数週とか、ややこしいから」
とのお粗末な言い訳をしてきた。
「そんなもん、先に言ってくれ」
そう父が言うと、
「お父さんが、超過しても良いって言うたから、そうしたんやで」と開き直き、
「だいたい、娘さんに介護を協力してもらったら?」と、私を非難した。

今のケアマネになって以来、私はずっとガマンしてきた。
ヘルパーの件で相談したときも、ヘルパー事業所へ言っておくと答えたが、
何の処置をしなかった。
後日、理由を聞くと、
「あ、何か言ってましたね。それはヘルパー事業所の問題やから」
と、ぞんざいな回答。

決定的だったのは、介護計画書の内容。
そこに書かれてあったのは、
「娘は仕事が忙しいから、介護できない。
たまに、父の通院付き添いをする」であった。
よくも、こんな虚偽を書いたものだと、腹が立った。
前任者の計画書には、事実そのものが書かれていた。

ふれあいセンターへ相談すると、ケアマネを変更することは可能とのこと。
父に、変えてもらうよう頼んだが、
「お母さんが退院してからでも良いんとちがうか」
と煮え切らない。

そして、今日。
病院へ向かう時間になり、私は車を取りに行くため、先に家を出ようとした。
「ヘルパー事業所の人を待たんでもええの?」と父が聞くと、
「ああ、彼女は電車で病院へ行くから、大丈夫」と、答えるケアマネ。

「私はケアマネだ」
そう誇示する素振りが見えた。

「あなたも、電車で行ったら?」
「今日は、お父さんがタクシーで一緒に行きましょうって言いはったから。
それに介護計画の話もしたかったし」
また、ウソをつく。
「とにかく、私はあなたに対して、不信感を抱いているんです」

それだけ言って、家を出た。
車を取りにいき、父のため、坂道の上まで、車をまわした。
まだごちゃごちゃと言っているのが聞こえた。
「道の真ん中なので、早く乗ってもらえます?」
「すみません。車で行くなら、私、申し訳ないです。
で、さっきの話ですけど」
「介護計画に虚偽のことが書かれてあったこと?」
「え? そんなこと・・・、計画書を持ってきてないから、わかりませんけど、
ウソは書きません」
「いえ、書いてありましたよ。因みに、前任者の計画書と比較しましたが、
前の方は、ちゃんと事実を書いてありましたよ。今、運転中なので、
あとにしてもらえます?」
「わかりました・・・」

病院までの車中が、いやな雰囲気だったことは言うまでもない。

病院へ着き、母の荷物をあずけたあと、院長と面談した。
入院時と今日撮ったレントゲン写真を比較しながら、
「骨折した股間の付け根に、カルシウムがあつまってきて、
骨が再生されつつあります。
ただ、リハビリは気分次第のところがあるので、起き上がりや
車椅子の移動、歩行にも介助が必要です。
今、介護何でしたっけ?」
ケアマネに向かって聞いたが、彼女は答えられない。
私が「介護5です」と答えた。
「5ですか・・・。退院後は、どんな計画ですか?」
ケアマネが提示した計画書を見た院長。
「ディサービス 週4回!? こりゃムチャクチャや。
いいですか、1日4時間くらい座っているのが限界ですよ。
週4回もディサービス行ってたら、疲労骨折起こしますよ。
3ヶ月くらいムリさせたらダメです」

父が聞いた。
「では何回ディサービスに行けますか?」
「お風呂も入らなアカンから、2回でしょうね。ディサービスより、
整形医の指導のもと、訪問リハビリを受けてください。
それと・・・、一度外泊してもらって、様子を見ましょう」
「帰宅願望が強いので、外泊したら、病院へ帰りたくないと言い出すかも」
「家で過ごせるなら、言うことなしですよ。リハビリ療法士をうかがわせます
ので、自宅の状況(手すりや段差、移動距離など)を判断します。
あと、考え方を転換して、施設に入れるか、ですね」

施設・・・。この問題はすぐ答えが出せない。
それよりも、食事のことを聞かないと。
「食事はやっぱりきざみ食でないとダメですか?
母は、結構グルメな人なので、美味しいものを食べたいと言うので」
「そりゃ、美味しいものを食べさせてあげてください」
「だけど、嚥下の問題が・・・。パン好きなんですけど・・・」
「12月から、嚥下療法士が来るので、指導します」

肝心の心臓の話になった。
「基本的に、病院はベッド生活ですから、心臓に負担がかかりません。
今はそれなりの状態・・・、つまり悪くはないです。
酸素量も安定してますし、循環器医も在宅酸素は不要と判断してます」

良かった。
ほんとに良かった。
外泊の件は、早ければ週末に、と決めた。

先にケアマネは帰り、私は半月分の精算をした。
病室にもどると、父がケアマネに対する私の態度をたしなめた。
が、私もゆずらなかった。
「お母さんの介護レベルも答えられないような人を信用できない」と。
父は何も答えなかった。

母は、父がいると、安心するのか、「帰りたい」と言わない。
そのかわり、
「何か食べたい」
「この部屋、うるさいから、個室に変えて」
「寒いから、電気毛布して」
と注文が多い。

私は母に言われるまま、お菓子とジュースを口に運び、
電気毛布をかけてくれるよう、看護師さんに頼んだ。
ヘルパーさんが電気毛布を持ってきてくれたのを確認して、
帰ることにした。

「気をつけて帰りよ」
今、このときの母は、以前の母である。

帰宅して、父に個室に変えてもらうよう、お願いした。
それから、在宅は難しいこと、施設のことも検討してくれるようにと。
父は、施設はムリだろうと言ったが、個室は考えてくれるようだ。

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母のこと(54)

母の病室が一般病棟から療養型へ変わり、
「お母さん、大丈夫かなぁ?」
と、父がずいぶん心配している。
「日曜日、午後から様子を見てくるわ」
「頼むわ」

病室が寒いと聞いていたので、起毛タイプの肌着と靴下を用意した。
差し入れには、そごうのTAKANOでフルーツプリン、和菓子とラムネ。
途中、ホットレモンを買った。

病院に着き、エレベーターが降りてくるのを待った。
ドアが開くと、車椅子に乗った母が現れた。
「あ! よりちゃん」
「今からリハビリ?」
「今から帰るとこやねん」

帰りたい病はおさまっていないようだ。
リハビリ療法士に、よろしくと頼み、
肌着と靴下を預けるため、病室へ向かった。
ナースステーションをのぞいたが、出払っているのか、誰もいない。
病室はどこかとさがしながら、廊下を歩いていくうち、
父が心配していたことがわかった。
やはり療養型病棟は、一般型とは雰囲気が異なる。

ようやく看護師さんを見つけ、肌着と靴下を預けた。
「寒がってませんか? 毛布を持ってきたほうが良いですか?」
すると、看護師とヘルパーさんが笑って答える。
「お布団をけっとばしてますよ」
「そうですか・・・」

しばらくして、母が帰ってきた。
どういうわけか、リハビリ療法士をひどく嫌がり、
「この人の言うことを聞いていたら、ロクなことがない!」
と怒っている。

「歩けないと、退院できないわよ」
「歩けなくたって、タクシーで帰れば良い」
「そりゃ、タクシーに乗れば帰れるけどさ・・・」
「でもね、お母さん、無一文やねん。この人(リハビリ療法士)も無一文やねん」
「そうやね、お父さんがお金持たせてないもんね」
「お父さんに置いておくように言っといて」
「はい、はい。じゃあ、ちょっと歩いてみせてよ」

しぶしぶ母は立ち上がり、歩いてくれた。
「すごいねー。この分だと、退院も間近ね!」
しかし、母の表情はこわばったままだ。
手足をさわると、ひどく冷たい。

「いつもは、病院着を下に着てるんですけど・・・」と、リハビリ療法士。
内心、気づいた時点で対処してくれたらすむことじゃないの、と思いつつ、
すぐヘルパーさんを呼び、手足が冷えきっていることを伝えた。
ヘルパーさんは、すぐ対応してくれた。

着替えが終わり、一般病棟のディルームへ向かった。
今の病棟は、プリンを食べるにも、なんとなく食べづらい。
一般病棟に着くと、ヘルパーさん達が歓迎してくれた。
母の表情に、ようやく笑顔がもどった。

プリンを食べると、横になりたいというので、病室へもどった。
横になると、胃が苦しいという。
痰がからみ、ゴロゴロいっているので、看護師さんに吸引してもらった。
しかし、すぐにはとれない。
気持ちが悪いといいながらも、
「何か食べたい」と言うので、和菓子を食べさせると、またゴロゴロする。
うがいをし、痰を出すよう促すと、少し落ち着いた。

「そろそろ帰るね。明後日、また来るから」
「明後日まで来てくれないの?」
「明日は仕事だよ。何かあったら、お父さんを呼んで」
「お父さんを呼んでも、しようがない」
「あら、そう? さっき、看護師さんが『お父さんを呼んで!って言ってます』
って言ってたわよ」
「・・・」
「じゃあね、看護師さんによく頼んでおくからね」

明後日は、院長との面談である。
退院のメドを聞く予定だが、ケアマネージャーも同席するので、気が重い。
父に何度もケアマネージャーを変えるよう頼んだが、
「どのケアマネージャーになっても、大して変わらんやろ」と、父。

ケアマネージャーの力量不足のツケは、家族にまわってくる。
だから、見切りをつける時期にきている、と私は思う。

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母のこと(53)

先週、「次に持っていくもの ”帽子、ヤクルト、くず湯、ハイソックス”」
と書きとめていたが、帰宅して父に相談すると、
「帽子は気まぐれやろ。ハイソックスは院内が暖かいからなー」と父。

私物の持ち込みは最小限に、かつ持ち込む場合は、看護師さんの
チェックとリストへの記録が必要なので、ちょっと面倒である。

大丸でくず湯をさがしたが、見つけることができず、
ボックサンでプリンを買い、病院へ向かった。
途中、コンビニでヤクルトを買おうと思っていたが、考え事をしていたら
すっかり忘れていた。

病室に着くと、同部屋の人がいなくなっていたので、看護師さんに聞くと、
療養病床へ移ったとのこと。
母がうるさいから、というわけではなかったので、安心した。

ヘルパーさんに手伝ってもらい、ベッドから車椅子にうつり、
ナースステーション前のテーブルで、プリンを食べた。
水曜日、父が不二家のプリンを持って行ったら、半分しか食べなかった、と言っていた。
プリンばかりで飽きてきたせいかと思いきや、ボックサンのプリン1個を平らげ、さらに私の分まで少し食べ、「お腹いっぱい」と、満足げだった。

「お父さんが持ってくるものは、安物だから、食べないの?」と聞くと、
母が「そうや」と答えた。
そばで私達の会話を聞いていたヘルパーさんが
「ウチも同じ」と苦笑した。

病室に置いている手帳を開くと、母の字があった。
父が水曜日にきたときのことを、小さな文字で書きとめている。
自分で書く気になったのだと、嬉しくなった。
「お母さん、ちゃんと書いてるね!」
「そうや。けど、あんまり書いてへんから、今日はよりちゃんが書いといて」

プリンを食べたことを書き、母に見せると、読み上げながら、
文章がわからないという。
「大丸へ行って、買い物してきたんやろ。文章は筋道たてて書かないと、
わからへん」
「おっしゃるとおり。お母さんには、かないませんわ」

医師によると、認知症が進んでいるということだが、
こんな言葉を聞くと、本当にそうなのか? と思ってしまう。

プリンを食べたあと、リハビリ療法士がやってきた。
とたん、母の表情がこわばる。
「今日は、(リハビリ)したくない」
「今、プリンを食べたところなので、もう少し後でお願いできます?」
「では、30分後に・・・」

にわかに眉間にしわをよせ始めた母。
また痛い、苦しいかと思いきや、「トイレ」という。
オムツをしているので、そのまますれば良いと説明しても、
看護師かヘルパーさんを呼べという。
ヘルパーさんに聞いてみると、
「朝もトイレへ行ったそうなんです。トイレ、行ってみましょうか」
と、トイレへ連れて行ってくれた。

少しして、笑顔で戻ってきたヘルパーさん。
「ちゃんとトイレで出来ましたよ!」
母も誇らしげな顔をしている。
「すごいねー。お母さん!」
「元気になろうという気力があるんですね。ほんとに日に日に回復してますよ!」

この勢いでリハビリを、と思ったが、
いざリハビリルームへ行くと、うんざりした表情の母。
車椅子から、2度の立ち上がりで、嫌気がさしている。
つかまり平行棒での往復歩行は、イヤイヤ歩き、
「もう帰りたい! こんな人(リハビリ療法士)の口車にのったら、
えらい目に遭う!」
と、怒りはじめた。
一時退院にしろ、主治医(院長)の許可が必要だと説明しても、
「私は、よりちゃんを連れて帰る!」
と言って、聞く耳もたぬ状態である。

私がこれ以上いると、落ち着かないので、
看護師さんとヘルパーさんに、なだめてもらうようお願いし、
すごすごと逃げるように、病院をあとにした。

帰宅して、父に話すと、
「自分が連れて帰ってもらう身やのに、相変わらずやな。
まあ、ガマンも限界にきてるんやろ。そろそろ退院を考えたらな
アカンやろなー」
「リハビリ療法士さんも、退院の目標を聞いていたから、
そろそろってとこなんとちがう?」
「水曜日に行って、聞いてみるわ」

なんだかんだと言いながらも、父は父なりに母を大切に思っているようだ。

実は、ずっと両親の仲が悪いと、私は思っていた。
病院やディサービスで、
「ほんとに、ご両親はラブラブですね」
と、ひやかされるたび、
「そんなこと、ないですよ」
と答えていた。

本当のところはどうなのか、と母に聞いてみた。
「お父さんと、仲良いよ」
と、意外な答えがかえってきた。
「え? そうなん? じゃあ、仲悪いのは、私とお父さん?」
「そうやな。アンタとお父さんはアカンなー」

母の介護が始まってからは、父と協力体制をとっているが、
長年のしこりはそうそうとれるものではない。
母は、父と私の中間で、うまくバランスをとってくれている。

やはり、母の存在は偉大である。

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母のこと(52)

週後半になると、首と肩の痛みが増すのが、最近の傾向である。
土曜日は日頃の睡眠不足を解消しようと、ついつい朝寝坊。
すると、首を寝違えてしまうのか、ひどい痛みに苦しむ羽目に。

昨日もそんな一日の始まりだった。
加えて、痛みを我慢しながら食べた菓子パンに気分が悪くなり、
よけいに痛みが増してしまった。

かかりつけの病院で、首と肩に注射をうってもらい、
なんとかおさまったので、母の病院へ向かった。

病室に入ると、苦悶した表情の母がいた。
「あ、より! 助けて!」
見ると、パジャマのズボンを履こうとするも、うまくいかないようだ。

看護師さんに手伝ってもらい、ズボンと靴下を履き、
車椅子に乗り移り、髪をとかした。
天気も良いので、散歩しようと、エレベーターで1Fまで降りた。
外へ出てみると、少し肌寒い。

「寒い? あそこの日なたまで出てみる?」
「ううん、帰る。」
母は寒がりだ。
またエレベーターに乗り、ナースステーション前のテーブルに落ち着いた。
戻ってきた私達を見て、看護師さんも、ヘルパーさんも、
「ほんとに、元気になられましたね。
お食事もご自分でとられますし、他の方の食事も気遣われたり。
表情も豊かに、笑顔も出てきました」
と、口をそろえて言う。
「そうですね、1週間前より元気になってます。ね、お母さん」
「自分ではわからんわ」
「そんなもんよ」

しばし、干菓子を食べながら、母とおしゃべり。
「今日は何も買ってきてないの。自販機の飲み物を買おうか?」
「欲しいものがない。ここって、流行ってないから、あんまり売ってない」
「じゃあ、今度、何か買ってくる。何が良い?」
「・・・」
「プリン?」
「プリンもねぇ・・・」
「おかきが食べたい? おかきはアカンわね」
「最近、買い物に行ってないから、わからんわ」
「くず湯が良いのかなぁ」

次に持っていくもの。
帽子、ヤクルト、くず湯、ハイソックス。
忘れないよう、書きとめた。

もうすぐリハビリの時間と聞いていたので、待っていたが、
なかなか迎えがこない。
じっとしていることに疲れてきたのか、母が病室へ戻ると言い出した。

そろそろ、ごね出す頃かな?
と思っていたら、案の定であった。
「よりちゃん、もう少ししたら帰るの?」
「うん」
「ほな、私も帰るわ」
「お母さんはお医者さんが良いって言うまで、退院できひんよ」
「なんで?」
「だって、骨折してるから。さっき看護師さんも言ってたでしょ。
退院に向けて、もっとリハビリしなさいと、医者の指示が出てるって」
「そんなん聞いてへん。よりちゃん、いつ帰れるのか、
お医者さんと話をしてきて!」
「えっ? もうすぐリハビリの先生がくるし、まだ時間あるやん」
「よりちゃんは、あまり時間がないんでしょ。こんなとこで話をしてるのは
時間がもったいない。はよ、先生のとこに行って、話をしてきなさい!」

追い立てられるように、病室を出た。
そうは言われても、主治医と話をしても、答えはわかっている。
仕方なく、看護師さんに母のことを頼み、病院をあとにした。

私はたわいもない話をしながら、
(たまには父の悪口も言いたい)
母のそばにいたいのだが、
帰宅願望しかない母にとっては、私がいると、
さらに帰宅願望が強くなるようで、逆効果のようだ。

看護師さんにも言われた。
「娘さんが来ると、どうしても甘えが出るんですよ。
ご主人だと、そんなことないんですけど。
退院されたら、また大変な日々になりますから、
入院中は、私達にまかせて、ゆっくりしてください」

有難い言葉だが、私が行くと、迷惑だとも聞こえる。
確かに、母は「苦しい。お医者さんを呼んで」を繰り返すので、
何度も看護師さんを呼んでしまう。
すると決まって、同じ答えがかえってくる。
「大丈夫ですよ。様子を見ましょうね」

何をもって大丈夫なのか?・・・と、もう少しで言いそうになったが、
ぐっとガマンした。
「何か変わったことがありました?」と、やさしく聞いてみると、
「3日間、便秘が続いたので、下剤を飲んでもらったら、
今朝からものすごい便で。シーツを3回変えました」
と、答えた。

帰宅して、このことを父に話すと、
「ほんなら、リネン会社からまた請求がくるなー。
お母さんは、そんなことも知らんで、好き放題やな。
困ったもんや」と、父。

私は、黙って部屋に上がった。
父との生活に慣れようと努力しているが、
長年まともに話をしなかったのだ。
なかなかうまくいかない。

「ドケチ! あの、くそじじい!!」
病室で、母にグチをこぼすと、
「そんなこと、わかってることやん」と母。

やはり、我が家は母でもっていたのだと思う。
母に早く帰ってきてほしいのは、私のほうかもしれない。

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今度は「てもみん」

シュミテクトをためしてみたが、歯の痛みはおさまらない。
3連休明けの火曜日、歯科へ電話した。
「今日は予約がいっぱい」とのことだったが、
「歯が痛くて痛くて・・・」とうったえると、何とか受けてくれた。

定時ダッシュで、歯科へすっとんで行った。
歯の状態を診た先生、曰く
「薬を塗って、1日様子を見ましょうか。
痛みが治まらないようであれば、明日また来てください。
樹脂を貼る手とします。」

薬を塗ってもらうと、ほんの少し痛みがおさまったような気がした。

それにしても、年々、痛みに悩まされているようだ。
首、肩も痛い。
整骨院へ行こうかな、とも考えたが、三宮から元町までとなると、
けっこう距離もある。
そういえば、この近くに「てもみん」がある。
友人が割と良かったと言っていた。
一度行ってみようか。

店内に入り、
「予約をしてないんですけど、大丈夫ですか?」と聞いた。
「大丈夫ですよ。どのコースにされますか?」
「初めてなので、首・肩コース 20分にしてみます。
延長できますよね?」
「あとのお客様がいらっしゃらなければ、できます。」

店のカードに記入すると、すぐ案内してもらえた。
担当スタッフは、感じの良い女性。
「特に痛いところは、どのあたりですか?」
「今日は、両肩から首にかけて、です。」
我ながら、なんと、ざっくりした答え方だろう。

それでも、その女性はにこやかに、
(私は顔をうずめているので見えないが)
マッサージを開始した。

ほどよい強さで、コリがほぐれていくようだ。
私がもみほぐしてほしいところを、ちょうど良い早さで、マッサージしてくれる。
本当に、心身ともに、リラックスしていく感じ。

以前通っていたクイックマッサージは、人によって、力が強すぎたり
弱すぎたり、かえってこる感じだった。
そのあと、接骨院へ行ってみたが、施術の強さや時間も物足りなかった。
ついで、整骨院へ通ったが、あまりにも痛すぎて、翌日へたってしまうほどだった。
整形は2つ行ってみたが、医者もリハビリも、たいしたことなく・・・。

この過程があったからかな。
「てもみん」とは、ピッタリの店名だ。
もう少しもみほぐしてほしいと思い、10分延長した。

30分後、肩のあたりが温かく楽になった気分。
また来よう。
そう思い、店をあとにした。

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母のこと(51)

昨日の夕食後から、歯が痛くなった。
原因は知覚過敏とわかっているので、ガマンしていたが、
どうにもおさまらないので、痛み止めを飲み、なんとかおさまった。

休日歯科医療診療所へ行くことも考えたが、
今日は大丸へ時計の引き取りと買い物、車の給油と洗車、
それに母のお見舞いも予定していたので、
どうにも時間が割けない。
シュミテクトを買い、なんとかもたせることにした。

午後から母が入院するN病院へ。
病室に入り、
「お母さん!」と呼びかけると、
「お母ちゃん!」と、母。
呼びかけに、そのまま返事をしているのだ。

「私よ!」と言うと、
「ああ、よりちゃん。私のこと、どうやって見つけてくれたん?」
「入院してるから、お見舞いに来たんよ。」
「私、入院してるの?」
「そうよ、骨折して、入院してるのよ。」
「家に帰りたい! 帰りたい!」

相変わらずである。

「イグレックプリュスのプリンと、井津美屋の干菓子を買ってきたよ。
食べる?」
「何にも食べてないねん。食べる!」

何も食べてないことはないだろうが、病院食嫌いの母。
ヘルパーさんに聞くと、
「全部、食べてますよ。毎日、便もよく出てますし。」とのこと。

車椅子にうつり、ナースセンター前のテーブルで、
プリンと、干菓子を食べた。
食べている間はご機嫌なのだが、
食べ終わると、喉の不快感をおぼえるのか、
痰がゴロゴロとからんでいるような音を出す。

看護師さんに、痰の吸引と口腔ケアをしてもらったが、
酸素量、血圧など、特に異常ナシ。
そういえば、酸素マスクもとれている。

「お母さん、顔色も良くなったし、ふっくらしてきたねぇ。リハビリもしてるの?」
「リハビリ、してない!」
「歩けるようにならないと、お家に帰れないよ。」
「歩けなくても良い! 歩けたって、ろくなことがない。」
「困ったねぇ。今日ね、私、あんまり長く居れないの。
明日から仕事だからね。」
「うん、早めに帰ったらいいやん。私も一緒に(家に)帰るわ。」
「お母さん、折り紙しよっか。鶴って、どうやって折るんやったっけ?」
「・・・。」

話題を変えても、帰宅願望は消えない。
このままだと、また私も帰りづらくなる。

2時間ほどして、リハビリ担当の人がやってきた。
「リハビリに行きましょうか?」
「しんどいから、行きたくない。」と、ごねる母。
「お母さん、リハビリの先生に、身体をさすってもらったら、どお?
ちょっと1Fに降りてみようよ。カッコイイ男の先生がいっぱい居るわよ。」
すると、しぶしぶ頷く母。

リハビリルームに降りると、
「こんにちは!」と、リハビリ療法士さんが笑顔で迎えてくれる。
母も、小さく応える。

バーにつかまり、伝い歩きをするのは、気が乗らないようなので、
先にマッサージをお願いする。
寝転んだ母に、
「がんばってね!」と手を握り、そのまま病院を後にした。

本当はもう少し居たかったのだが、
首から肩にかけて、激痛がはしっていた。
帰宅し、自室で1時間ほど休むと、いくぶん痛みもマシになった。

予定より早く帰った私に、父は意外そうな表情をしていたが、
痛みを理解してもらえるとも思えないので、
「疲れたから、早めに帰ってきた。」とだけ言った。

最近、父も反応がずいぶん鈍くなった。
とはいえ、母によると、
「昔から、お父さんは、人の話をよく聞かない」人らしい。

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1ヶ月半ぶりのゴルフ

11/3(日)、神有の合同月例へ。

9/21の小野東洋で、ワーストスコアを出して以来、
10月は母の入院もあり、疲れが出た私はカゼで4日間ダウンなど、
約1ヶ月半ぶりのゴルフである。

体重も減ったままなので、あまり力も出ない。
まともにゴルフができるだろうか?
そんな不安をかかえながら、スタートホールへ。

あいにく天候も曇り。
午後から雨との予報であった。
ひんやり寒いので、9月に買ったマンシングのパーカを羽織った。
薄手だが、1枚着ているだけで、寒さがしのげる。
良い買い物だったかも。

さて、今日はホールアウトを目指そう!
スコアメイクなんぞ出来ないだろうから・・・と、
パット練習もしなかった天罰か、4パットが3回!
前半(IN)は、6ホールしかもたず、惨憺たるスコア。
(小野東洋よりはマシだったけど。)

ところが、あきらめが良かったのか、
INは普段のペースにもどり、12番ショートではバーディとるし、
この調子でいけば、ハーフのベストスコアが出るかも!
と思っていたら、17番から崩れた。
最終Hは、自分で「こわれた!」と叫ぶほど、3Wがふれない。
もはや長いクラブをふる力も残っていないのだと諦め、
U7に変えると、スムーズに当たる。

いつも最後のほうで後悔することだが、
疲れてきたら、短めの番手に変えるほうが良い。
なのに、残りの距離から番手を選択してしまう。

私はつくづく学習能力がない。。。

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