母のこと(73)
大腿骨頚部外側骨折手術から、1ヶ月余り。
昨日、手術後の状態と今後について、主治医から話があった。
「診察が終わってからになるので、20時すぎに来てください」
と、地域連携相談員。
いつも思うのだが、こちらの都合も聞いてほしいものだ。
いったん帰宅し、夕食をとり、車で病院へ向かった。
父は早めに行くと言っていたが、病室に着くと、
「早かったなー。ワシも20分くらい前に来たとこや」という。
「なんで?」
「神戸駅 18時30分発の市バスに乗って、19時に最寄のバス停に着いてな。そこから、ヨボヨボ歩いてたら、19時15分すぎになった」
「あらまあ・・・」
タクシー代もバカにならないと、父は1時間かけて市バスを乗り継ぎ、病院へ行く。
帰りは、国道を渡らなければならないので、途中までタクシーに乗り、市バスで帰ってくる。
本当に、ご苦労さん、である。
「お母さん、具合はどう?」
「悪い! あのねー、帽子がなくなったの!」
「ええっ? マキシンの6,000円の帽子が?」
「6,500円でしょ」
母は私が言った金額を正確に覚えていた。
「なんで? 今日お風呂の日よね?」
すると、母。
「元町郵便局へ行って、局長に会おうとしたら、出てこないねん。あそこの局長はアカンわ。ほんで、大丸へ向かったら、道でこけてね。そのとき、帽子がなくなったん」
元町郵便局? 大丸?
また夢でも見ていたのだろうか。
父が「お母さん、大丸へはタクシーで行ったの?」と聞くと、
「そこのバス停から、バスに乗って行った」と母。
どうやら家にいるときのことと思っているようだ。
「こけたんやなくて、ベッドの柵の間から右足を出して、すりむいたらしいねん」
父はそう言って、母の右足のすねを指差した。
すりキズがあった。
「痛い?」
「痛い!」
「キズ口に薬をぬってもらわなくて良いの?」
「勝手にこけたから、そんなこと言われへん」
「そう・・・。干し柿持ってきたよ。食べる?」
「食べる」
干し柿を2口食べたところで、ケアマネさんがやってきた。
母は、かつて勤務していた頃の知り合いと思いこみ、親しげに話をしていた。
話がもりあがった頃、院長がひょこっと顔を出した。
父が「お母さんも話を聞きに行く?」と聞いたが、
母は「行かない」と答えたので、私達は病室を出た。
院長の説明は、予想どおり長かった。
とにかく、話が長い。
すでに聞いた話をくりかえし、熱が入ると、何度も同じことをいう。
ひととおり話を聞いたあと、(私もずいぶん辛抱強くなったものだ)
「質問いいですか?」
「はい」
「手術の結果は良好と見て良いのですね?」
「良好です」
「運動機能は、1段階 レベル低下したということですか?」
「そうです」
「平行棒で 計6メートル歩けるようになったと、リハビリの先生に聞きましたが?」
「気分のムラに、リハビリ進行は左右されていますね」
「さきほど仰った、リハビリのためのリハビリとは?」
「ご本人がリハビリをしようという意思があまりないため、リハビリメニューをこなすための指示を出して、やっという意味です。ですから、在宅となると、非常に厳しいと思います。介護するお父さんがひっくり返って、二人とも骨折ということもあり得ます。それと、前にもお話したとおり、骨折しやすい状況 ”負のスパイラル” に陥っているので、疲労骨折を起こす リスクがあります」
「認知症が進行しているとうかがいましたが、今どのレベルなんですか?」
「レベル Ⅳギリギリのところ、Mにはいたっていないかな」
「環境の変化で、改善することはありますか?」
「家へ帰られたら、よくなることもあります」
「施設に入っても問題ない状況でしょうか? 持病もありますし・・・」
「心臓のほうは落ち着いていますよ。薬もずいぶん少なくなりましたし。お母さんの良いところは、食欲があることです。これって重要なことなんですよ」
ずいぶん端折って書いたが、実際はもっと長々と説明された。
つまり、病状も安定している今なら、受入れ先(施設)さえ見つかれば、いつでも退院できるとのこと。
3ヶ月を過ぎ、病院側としては、そろそろ個室を明け渡してほしいようである。
とにもかくにも、病状が落ち着いていると聞き、安心した。
病室にもどると、一人とり残されていた、と母は不機嫌だった。
「うどんが食べたい。うどん!」
「こんな時間に、うどんなんてないわよ」
「うどんが食べたいの!」
30分前に、眠剤を飲んだのに、興奮しているのか、「うどん」を連発する母。
私達がいると、よけい眠らないので、看護師さんに後のことをお願いして、病院を後にした。
今日、病院から、
「車椅子からずり落ちて、慌てましたが、検査の結果、異常はありませんでした」
と電話があったという。
まだ興奮状態が続いているのだろうか。
この前の日曜日は、普通だったのに、そんなに変わるのだろうか。
「お母さんはご機嫌が良いときは、にこっと笑ってくれるんですけど、手術前なんて、『なんで手術せなアカンの? 絶対イヤ!』と、屁理屈で反論され、困りました」等、院長は「以前から会話が成立しない」と言っていたが、それは今にはじまったことではない。
母は、私が子供の頃から、
「お母さんの言うことがすべて正しい。間違ってるのは、アンタ」であった。
たとえば、母の言ったとおりにしても、結果が間違っていたら、
「なんでお母さんの言うとおりにしないの?」と怒る。
「お母さんが言ったとおりにしたよ」
「お母さんはそんなこと言わない! またウソをつく!」
「ウソついてない。お母さんがそう言ったのに・・・」
「言ってない!」
最後は、私が根負けし、あやまる。
大人になっても、これは変わらなかった。
確かに、母の認知症も進んでいるのだろう。
だが、母の場合、その性格が大いに影響しているんじゃないの?
と思えてならない。
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