母のこと(85)
日曜日は朝から大雨のようなので、土曜の午後、母のもとへ行くことにした。
高熱を出して寝込んでしまった父が持っていくはずだった、春用のシャツ 3枚、ウェストのゴムをゆるめにしたズボン、いちごとカステラ、紅茶を持って。
特養では、来所時、受付カード(*)を書く決まりである。
(*受付カード)
・来所日
・入所者名と居室番号
・来訪者名と続柄
・来所時間
書き終えて提出すると、
「今日はオープン2周年記念日なので、1Fラウンジでたこ焼きを作っています。是非、お母さんと来てください」と事務所の人に言われた。
たこ焼きは、母もワタシも大好物である。
あとで父が聞いたら残念がるだろう。
「たこ焼き、たこ焼き♪」と、浮かれ気分で、母の居室のドアを開けた。
すると、入口すぐのところで、母が床にへたりこんでいた。
「どうしたの?」
「トイレに行って、そのあと、ここで・・・よりこを待ってた」
自力でトイレへ行ったのか?
定かではないが、ともかくヘルパーさんを呼ばなくては。
床にへたりこんだ母を立ち上がらせることは、今のワタシには到底出来ない。
呼び出しベルを鳴らすと、ヘルパーさんがすぐ来てくれた。
「あれっ? なぜここに?」
「トイレへ行った」と母。
「トイレですか?」
「すみませんが、車椅子にうつしてもらえます?」
「はい、じゃあ兄ちゃんの腰もってくれる?」
男性のヘルパーさんは、軽々と母を起こし、車椅子に乗せてくれた。
「今日はお昼ごはんを食べてないんですよ。『いらないっ!』・・・って」
「お母さん、なんでお昼食べなかったの?」
「知らん。私のこと、忘れられとったんやわ」
「いや、忘れてませんよ・・・」と、ヘルパーさんも困った表情を浮かべる。
母は、とにかく気まぐれな人である。
気分が向かないと、食べないし、ヘルパーさんの言うことも聞かない。
「今日のおやつはお好み焼きなので、2時半くらに、北側の食堂へ来ていただけますか?」
「お好み焼き? 1Fのラウンジで、たこ焼きやってるみたいですけど・・・」
「ユニット居室は、お好み焼きなんですよ」
そう言って、ヘルパーさんは部屋を出て行った。
車椅子をテーブルの前に移動させ、持ってきたいちごと紅茶を並べた。
「お父さんがいちごを買ってきてくれたんよ。お昼食べてないんだったら、お腹すいてるでしょ」
「すいてる。食べる」
練乳をかけたいちごを、さっそくほうばる母。
幸せそうな笑顔だ。
「あとねー、春用のシャツも買ってきてくれたよ。いいでしょー」
ハンガーにかけ、母に見せると、
「あ、かわいいー」と、喜んだ。
「お父さんね、水曜日から熱出してんの。いったんひいたんだけど、金曜日にヤマザキへおにぎりを買いに行ったら、夜また熱出してんの」
「冷たい風にあたったからや」
「そうやろね。お母さんにカゼうつしたらアカンって、来るの、ガマンしてるわ」
「ふーん・・・」と、やや寂しそうな表情を浮かべる母。
「あ、お母さん、お好み焼きとたこ焼き、どっちがいい?」
「どっちでもいい。人が少ないほうがいい」
PTAや婦人会、お稽古事など、大勢の人達に囲まれ、常に中心にいた母。
だが、要介護になってからというもの、母は別人のように、人から遠ざかるようになった。
今の自分を見られたくない、と言わんばかりに・・・。
「じゃあ、1Fのたこ焼きへ行こうか」
エベレーターを待っていると、母のことを『かわいい』と言ってくれる女性のヘルパーさんに呼びとめられた。
「いまからお好み焼きパーティをやるので、是非来てください」
「たこ焼きへ行こうと思ってるんですけど」
「ちょっとだけ顔出して。ね、お願い! あとでたこ焼きへ行かれては?」
せっかくのお誘いなので、顔を出すことにした。
1フロア全体の入居者が集まっているので、普段より人数が多い。
こういうとき、母は凛とした態度をとる。
”私はここにいる人達とはちがう。” と主張しているかのように。
突然、クラッカーを渡され、
「合図をしたら、鳴らしてください」と頼まれた。
フロアリーダーの「せーの・・・!」という合図で、クラッカーを鳴らした。
割と大きい音だったので、ビックリしてのけぞるお年寄りもいた。
「2周年、おめでとうー!!!」
入居者の方々より、ヘルパーさん達のほうが、大はしゃぎである。
ホットプレートで焼いたお好み焼きが配られた。
いつもと変わりなく、皆さん 静かに、黙々と食べはじめた。
母に「おいしい?」と聞くと、小さな声で、「あんまりおいしくない」。
とはいえ、お腹はすいているので、平らげた。
食べ終えると、そわそわし始める。
これ以上、ここにいたくないのだな。
ヘルパーさんに1Fへ行く旨を伝え、その場を後にした。
1Fのラウンジに着くと、男性のお年寄りが一人、たこ焼きを食べていた。
ケアハウスに入居している人だろうか?
平らげると、「ごちそうさん」と言って、出て行った。
そのあと、ラウンジは、母とワタシの貸切となった。
「やっぱりこっちのほうがいい」と母。
母は人が多くガチャガチャしたところより、静かなところのほうが落ち着くのだ。
二人で、アツアツのたこ焼きを 6個、いただいた。
割と美味しかった。
「ご馳走さまでした。父が聞いたら残念がります」と事務所の人に言うと、
「いつも帰りにコーヒーを飲んでいただいてますよね」
「ええ、100円で飲めて美味しいからって」
「今日は?」
「熱出して、寝てます」
「あらー。じゃあ、これ、お土産にどうぞ」
「え? ありがとうございます。喜びますわ」
・・・父にしろ、ワタシにしろ、もしかして、ちょっと有名になってる?
いやいや、気のせいだ。
部屋にもどり、父に電話をした。(ワタシは携帯電話を持つ係)
父との電話は、母にとって、ささやかな楽しみである。
「たこ焼きを食べてきた。お父さんの分も買ってるからね。シャツ、ありがとう。嬉しい。元気になって、はよ会いに来て」と、楽しそうに話をしていた。
電話のあとは、少しぐったり。
一気に食べて、一気にしゃべったせいだろう。
「苦しい」と言うので、ベッドに寝させ、お腹をさすっていると、
「記念写真を撮りますので、来てください!」と、ヘルパーさんが呼びに来た。
「行きたくない」
「食べ過ぎたみたいなの」
「食べ過ぎだったら、大丈夫。せっかくの記念写真だから、一緒にうつりましょう! 皆さんに待ってますよ。さあさ、起きて!」
無理やり起こされ、しぶしぶ向かう母。
ついでに、ワタシも記念写真に飛び入り参加させられた。
『ご家族と楽しく 2周年記念パーティ』という吹き出し付の写真になるんだろうな。
再び部屋にもどると、
「お腹が痛い。死にそうなほど苦しい。こんな苦しい思いをするんなら、もう生きていたくない・・・」と、母のグチが始まる。
さすがにワタシも疲れてくる。
「そういえば、今日おかき食べてないねー」
「おかき食べる!」
「死にそうなんとちがうの?」
「おかきを食べたら、元気になる」
母の言うとおりだった。
身体を起こし、おかきを差し出すと、ポリポリと食べ始める母。
さっきまでの苦しさがウソのように、ふっとんだ。
もう少ししたら、晩御飯だけど・・・、まあいいか。
好きなものを食べている間は、ご機嫌さんなのだから。
四角四面にやっていると、こっちも息がつまってくる。
夕食がはじまり、
「ちゃんと食べないと、お薬もらえないわよ」と言って、特養を後にした。
母の寂しい一週間が、また始まる。。。
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