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母のこと(119)

母はエッセイを書くのが趣味で、自費出版で数冊、本を出している。
時系列で、正確かつ綿密に書く母の文章は、
「あのとき、そんなことがあったよね」と、鮮やかに情景が浮かぶ。
それに、短文で綴られているため、実に読みやすい。

ただし、題材にされる家族にとっては、恥かしいこともある。
「あら!  よりこちゃん?  まあ・・・大人になったわねぇ」
エッセイの中のワタシは、未だ学生。
社会人になっても、大人になれない子供で描かれているので、
「ほんと、いつまで経っても、お母さん子」である。

そんな母のエッセイで、戦時中の話がある。
楠公さんで親しまれる湊川神社の傍に、母の実家 兼 鉄工所があった。
神戸大空襲の日(3月17日)、母は幼い妹を背負い、戦火を逃げまわった。

【母のエッセイより抜粋】
  焼夷弾は遠慮会釈なく落下する。恐ろしいと思う余裕は全然なかった。燃え盛る火を消す火を必死で消す母(祖母のこと)の側で、幼い妹を背負った私(母のこと)は右往左往するしかなかった。
  焼夷弾が雨のように降ってきた。私たちは家のなかに飛び込んだ。母がいない。心細くなった。煙に巻かれ、炎の中で逃げ場を失った。ようやく家の中から脱出した。路上に出たものの、誰もいない。背中に顔をうずめる小さな妹。恐ろしさの中で泣くこともしない。
  「助かりたい。死にたくない」  ただそれだけを私は祈った。
  疲れとあきらめで、その場にしゃがみこんでしまった。放心状態の私は目の前の火の行方を眺めていると、向かい合った家の炎と炎の真下はトンネルになっていた。今、此処を走り抜けたら助かると思った瞬間、私は走っていた。背中の重さは全く感じなかった。


母はこのあと、湊川神社の溝の中へたどり着き、焼夷弾の行方を見上げながら、上へ下へと逃げ回った。
夜明けとともに、ようやく空襲が終わり、自宅へもどった。
だが、そこは焼け野原。

  何もない。焦げている匂いと、煙だけだった。呆然と立ちすくんだ。遠くに父と母の姿があった。二人はじっと私たちを見ていたが、よろめくようにかけ寄って来て、「よう生きていたなぁ!」と、絶句した。
  (中略)
  父も母も泣いた。母に抱かれた妹はこの時はじめて泣きだした。私はほっとした。
  それにしても、あの時の私はサーカスのライオンが火の輪をくぐる役を、妹を背負って演じていたのであった。

このエッセイを読んだとき、空襲のとてつもない恐ろしい光景が浮かんだ。
よく生き延びたものだと思う。

エッセイには書いてないが、布団を抱えて逃げていたらしく、楠公さんの溝の中で、いったん捨てたが、空襲がおさまったあと、また取りに行ったという。
「重い布団が邪魔で捨てたんやけど、モノがない時代やから、やっぱり要るわーと取りに行ったら、あったわ」
物資不足の当時を思いおこさせる話だ。
ほかにも、祖母が「土のなかに埋めておけば大丈夫」と言って、お米やら靴やら埋めておいたが、真っ黒焦げになったという、今だから笑える話もある。

今の母は字も書けなくなってしまった。
だが、母が語る言葉を聞いていると、ふとエッセイの会話を読んでいるような錯覚に陥ることがある。
「一行だけ、一言だけでも、印象的な言葉があると、文章は光るんよ」と、母はよく言っていた。
印象的な言葉なんて、そうそう言えない。
やはり母は、物書きのセンスがある女性なのだ。
つくづく羨ましいと思う。

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